花見

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[エッセイ 14](既発表 6年前の作品)
花見

 きのう、家内と近所の大庭城址公園というところに花見に行った。そこは、市の西部に開発された大規模住宅団地の一角、ほどよく整備された自然豊な公園である。昔、近在を治めていた大庭氏の城跡だそうで、一つの丘がそっくり公園になっている。頂上の広場を囲むように桜の大木が数十本、いまを盛りと咲き誇っていた。桜は見事であるが、交通の便が悪いこともあってかあまり知られておらず、私たちにとっては最高の穴場である。

 途中でコンビニに寄り、お弁当と少しばかりのデザートそれにお茶のボトルを買った。やや肌寒かったが、ウィークデーということもあって人出は少なく、暖かい陽だまりに席を設けることができた。私たちは、満開の桜の木の下で花見と小宴に十分満足することができた。連れて行ったペットの犬も、あたりを駆け回ったり、特別に用意したご馳走に舌鼓を打ったりして喜んでいた。
 
 このシーズン、桜は日本中に咲き乱れる。普段その木の存在にまったく気づかなかった場所にまで、突然桜の花が現れて私たちを驚かせる。桜は一月に沖縄から咲き始める。三月には、全国各地の開花予想時期が桜前線として、天気予報とともに発表される。

 テレビでは、各地の開花の様子とその賑わいぶりが毎日のように放送される。桜前線は徐々に北上し、五月のゴールデンウィークには津軽海峡を渡る。ワシントンのポトマック河畔にある桜の様子も、日米友好のシンボルとして毎年大々的に報道される。私たちはその様を誇らしくながめ、そのつどアメリカに対する友情と両国の固い結びつきを再認識させられる。
 
 私たちは、満開の桜の木の下でおいしいご馳走をほおばり、うまい酒に酔いしれる。そして花の散り行くさまをかぎりなく惜しむ。日本人はなぜこうも桜を愛でるのであろう。昔から、「世の中は三日見ぬ間の桜かな」という言い伝えがある。たしかに、桜の花はわずか三日の間に驚くほどその表情を変える。開花したと思ったら一気に満開まで突き進む。

 本来はその開花までの速さを「三日見ぬ間に桜かな」と詠ったらしいが、いずれにしてもその満開時の華やかさは地上の美しいものすべてを圧倒する。その美しさに見とれているうちに、あっという間に散ってしまう。江戸の町人文化にもたとえられる桜の華やかさ、そしてその散り際のいさぎよさは武士道の美意識にもたとえられる。その表と裏のドラスチックな落差が、日本人の心情を揺さぶってやまないのであろう。

 その華やかさと散り際の美しさを桜にたとえ、将来のある紅顔の美少年を神風特攻隊として、太平洋上の敵前に送り出したのはわずか六十年前のことである。日本人の美意識をいいことに、本来純粋であるべき桜をそして若い命を、二度と生臭いことに利用するようなことがあってはならない。
(2003年4月4日)