四月の風-三日見ぬ間の桜

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[風を感じ、ときを想う日記](898)4/11
四月の風-三日見ぬ間の桜

 今月の「ゆうゆう通信」には、巻頭の挨拶として次のような小文を載せた。

 ・・・この季節になると、多くの人が満開の桜の花の下に集い、おいしいご馳走をほおばり、うまいお酒に酔いしれます。そして、花の散りゆくさまをかぎりなく惜しみます。

 桜は、「世の中は三日見ぬ間の桜かな」と例えられてきたように、花は3日の間に驚くほど表情を変えます。原作の大島蓼太は「世の中は三日見ぬ間に桜かな」と詠ったようですが、いずれにしてもその美しさに見とれているうちにあっという間に散ってしまいます。

 桜の華やかさは江戸の町人文化に、そしてその散り際のいさぎよさは武士道の美意識にも例えられます。その表と裏の落差が、日本人の心情を揺さぶってやまないのでしょう。私たちもぜひ、満開の桜の下で、日本人に生まれてよかったと実感してみましょう。・・・

 この句は、世の中の移り変わりの激しさを桜の花に例えたものだが、原作の“に”がいつの間にか“の”に変化してしまっている。元は、三日間外に出ないでいたら、“桜の花が咲き揃っていた”ということらしいが、変化後は“散ってしまった”という意味合いが強くなっている。

 昨今、大臣の失言が取りざたされているが、たった一字で意味合いもずいぶん変ってくるものだ。