三日見ぬ間に桜かな

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[風を感じ、ときを想う日記](957)4/2

三日見ぬ間に桜かな


 タイトルは、大島蓼太の原作「世の中は三日見ぬ間に桜かな」から引用したものだ。元の意味合いは、三日間外に出ないでいたら、“桜の花が咲き揃っていた”である。ところが、いつの間にか「に」が「の」に変化し、俗世間では「三日見ぬ間の桜かな」といわれるようになった。“三日間も見ないでいたら散ってしまった”と、花の後半の意味合いを強くにじませる句になっている。

 

 今日訪れた引地川親水公園の桜は、原作の「に」の意味合いが強く、満開直前の状態にあった。前回訪れたのは月曜日で、蓼太と同じ3日前のことだった。そのときの桜は、まだ五分咲きにも至らない幼い童女だった。それが、今日あらためて訪れてみると、桜は三日見ぬ間に妖艶な大人の娘になっていた。


 今日はうって変わって暖かく、日射しもたっぷりとあった。人出はそれほど多くはないが、それなりの賑わいを見せていた。お弁当を開いているグループは疎らに見られる程度で、昨年のようなテントはまったく見当たらなかった。やはり、ご時世を色濃く反映した静かな花見になったようだ。


 今年の引地川の桜は、3日も見ない間に原作どおりの華やかな桜になっていた。そして、今日、明日でピークを過ぎるだろう。あとは三日見ぬ間の桜かなと、どんどん寂しくなっていくはずである。不要不急の外出は控えましょう、などと自宅への引きこもりが奨励されているうちに・・。