自転車

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[エッセイ 551]
自転車

 

 家内と買い物に行く途中、自転車が背後から勢いよく追い越していった。ほとんど気配を感じさせず、しかも歩道を歩いている家内の脇をすれすれに、である。家内は、「チリンチリンくらい鳴らせばいいのに。本当にあぶない」と憤慨していた。私は、「その方が安全には違いない。しかし、歩道上を“そこのけそこのけ自転車様が通る”はマナー違反もはなはだしい」と怒りを込めて返答した。


 自転車が勝手気ままに走っているのを見かけるにつけ、イソップ物語の「卑怯なコウモリ」に出てくるコウモリのことを連想する。獣と鳥が戦争をしているとき、“私は獣の仲間です。私は羽が生えているので鳥です”と、戦況の行方によって味方する方をくるくると変える。あのずるいコウモリのことだ。歩行者になりすましたり、車の運転手気取りでいたり、彼らはまるでコウモリである。


 法制度がきちんと整備され、それをみんなで守っているのに、なぜ自転車乗りはこうも勝手気ままなのだろう。禁止事項は、飲酒運転、二人乗り、並進走行、無灯火、信号無視、傘差し、携帯通話、イヤホーン、遮断機潜り抜け、ブレーキ不良、子供ノーヘル、子供同乗制限など。そして交通標識遵守事項は、一時停止、二段階右折、自転車横断帯、歩行者・自転車専用信号、進入禁止、一方通行、車両通行止め、徐行、一時停止など。はたしてどれだけ守られているだろう。


 そして、いつも気になっているのが歩道の通行である。自転車は車道の通行が大原則、それも左側を走らなければならない。歩道を通行できるのは、特別に認められているところだけである。その場合でも、歩行者が優先であり、車道側を徐行しなければならないことになっている。違反すれば5万円以下の罰金である。それなのになぜ守らない、なぜ取り締まらないのだろう。


 車を運転していて感じるのは、自転車の安全はそのほとんどが車両運転者の注意と善意によって支えられているようにみえることだ。とにかく、いつどこから自転車が飛び出してくるか分からない。ふらっと車道の中央部に出てくることがある。左折しようとしていると、後ろから猛スピードで左側をすり抜けていくこともある。車側の注意でなんとか安全を維持しているといっていい。


 いまでこそ自転車にあまり好感を持てなくなったが、自転車にはずいぶんお世話になった。高校生の時は、片道8キロの道を自転車で毎日通った。雨の日のぬかるんだ道も、カッパを着込んでペダルを漕いだ。おかげで、足腰の成長・強化には大いに役立った。上京後も、帰省したときはどこへ行くにも自転車を利用した。“コウモリ”などには使わせたくない大切な乗り物である。


 放置自転車の問題も含め、みんなでルールを守り譲り合っていけば、もっと安全な住みやすい社会が実現できるのではないだろうか。
                       (2020年4月5日 藤原吉弘)