ランドセル

イメージ 1

[エッセイ 233](新作)
ランドセル

 アメリカのニューヨークに転勤していた長男が、6年数ヵ月ぶりに日本に帰ってくることになった。2人の孫娘もすっかり大きくなって、新学期からは小学校3年生と1年生になる。日本の小学校ですぐにも必要になるのがランドセルであるが、現地にはそれを使う習慣はないようだ。

 ランドセルはおじいちゃんとおばあちゃんがプレゼントするので、希望の型と色を連絡するようにといっておいた。数日後、希望の品番がメールで届いた。猫のキャラクターでおなじみの、あのメーカーのシリーズ品だった。インターネットで、日本で売られているものを調べたという。

 近くの大型店に買いに行くつもりでいたが、電話で在庫を確認してから出かけることにした。結果は、とっくに売り切れたという返事であった。他のスーパーやデパートにも片端から電話してみたが、答えはみな同じであった。横浜の、2軒の大型デパートも例外ではなかった。

 もちろん、普通のランドセルはまだ売られているが、できれば本人たちの希望をかなえてやりたい。そういえば、長男から送られてきたメールには、インターネットで検索したというそのアドレスも記載されていた。さっそくそこにアクセスしてみたら、ネット通販としてちゃんと販売されていた。

 下の子が希望しているピンクは在庫にまだ余裕があるようであったが、上の子の希望している空色の方はあと1個ということであった。どうせ商売上のテクニックだろうと思っていたが、注文後にもう1度アクセスしてみたら在庫は本当にゼロになっていた。

 ところで、私たちが小学校に入ったとき、日本は敗戦の直前にあった。そんなときでも、祖父母や両親はランドセルを買ってくれた。しかし、あまりにも粗悪品であったため、3年生になったころには風呂敷がその代用をしていた。

 ランドセルという言葉はランセルというオランダ語がなまったものだという。幕末のころ、幕府軍の兵士のために輸入したのが始まりらしい。学校での第1号は、大正天皇学習院初等科に入学されるとき、伊藤博文がお祝いに贈ったものだそうだ。それが全国の小学校に広まっていったという。

 最近では、軽くて丈夫な素材が開発され、デザインや色彩も豊かになってきた。デパートやスーパーあるいはインターネットなどで見ても、ランドセルは百花繚乱の趣を呈している。不景気とはいっても、おじちゃんやおばあちゃんが奮発するためだろうか、値段の方もなかなかのものである。

 ちょうどいま、玄関のチャイムが鳴って、インターネットで注文してあったランドセルの2つ目が届いた。
(2009年2月25日)