動機づけ

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[エッセイ 8](既発表 7年前の作品)
動機づけ

 およそ30年前、私の勤め先では、販売代理店の人たちをハワイの観光旅行に招待する企画があった。私はそれの世話役幹事として同行した。まだ海外旅行が解禁になったばかり、1ドルが360円もしていた時代である。現地では、日本から移民した人たちの二世が活躍しており、広島弁がハワイの標準的な日本語として幅を利かせていた。このときは、日本語だけでほとんど不自由はなかったが、その一方で英会話能力の必要性も痛感させられた。

 帰国した早々、私は英会話を勉強するため「リンガフォン」と呼ばれるレコードセットを買ってきた。薄給の時代、1ヵ月分の小使いにも相当する大枚2000円を払っての大きな買い物であった。私は、早速そのレコードで英会話の勉強を始めた。幼稚園に入ったばかりの長女も一緒になって、「ハウ ドゥ ユウ ドゥ?」とやっていた。しかし、いつしかその間隔は遠くなり、2~3ヵ月も経つとレコードを買ったことすら忘れてしまった。

 8年後、同じような企画で再びハワイを訪問する機会を得た。私は、帰国早々またそのリンガフォンを引っ張り出し、英会話の猛勉強を始めた。家内がニコニコしながらポツリといった。「あなたはなかなかたいしたものですね。でもハワイに行く前にやっていたらもっといいのにね・・・」。そして今回もまた、英会話の勉強は三日坊主に終わった。

 私の長女が高校2年生の時、彼女は自分の進路について決めかね悩んでいた。ある日、私と彼女は街一番の本屋に出かけそれについて相談した。彼女は、買い求めた進路の参考書をもとに、自分の将来についてもう一度よく研究してみる。そして結論がでたら、それに向かって一生懸命勉強すると約束した。私もお父さんの役に立つことを勉強するから一緒にがんばろうと約束した。私が選んだのはもちろん英会話であった。

 彼女は現在、自分の希望どおり小学校の教師になり、はやベテランの域に達しようとしている。古来、私達は「三度目の正直」ということわざを大切にしているが、私はそのとき以来英会話の勉強を細々とではあるが続けている。

 私は現在、いろいろな企業の社員を対象にした研修の仕事に関わっている。私達が手がけるプログラムの主なねらいは、その研修生たちをうまく動機づけしモラルを上げていくことである。「人は、馬を水辺に連れて行くことはできても、喉の渇いていない馬に水を飲ませることはできない」ということわざがあるが、動機づけなしで人に勉強させるのは至難である。

 このエッセイも、もとは英会話教室の教師による英作文の添削が動機になっている。彼の厚意に感謝をしつつ、それが永く続けられることを期待している。
(2003年2月11日)