年賀状

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[エッセイ 42](既発表 5年前の作品)
年賀状

 今年は、年賀状を360枚作った。つくったと表現したのは、裏のイラストや挨拶文はもとより表の宛名書きまですべてパソコンで処理したためである。ついに、年1回の大切な挨拶までコンピューター任せになってしまった。

 子供のころ、ほんの数枚をていねいに書いていた記憶がある。このやり方は大人になってもあまり変わらず、枚数が多少増えた程度であった。結婚した年、一人前になったという自負がそうさせたのか、枚数が急増し本文は印刷に変わった。それだけではあまりにも寂しいと、干支のゴム印をイラスト代わりに使うようになった。12月になると、黒インキで宛名を書き、印刷された本文に干支のゴム印を押す。この作業は、以降30数年間続くことになった。

 元旦になると、年賀状の配達を待ちわびるようになる。胸を膨らませながら郵便受けを覗き込み、まだか!とつぶやきながら部屋に戻る。そんなことを数回繰り返し、ふてくされたころを見はからって、はがきの束はバイクの音とともにやってくる。世帯を持った当初の10年は、公団住宅の4階に住んでいた。元旦には、1階の郵便受けまで何回も階段を上り下りさせられ、わが短足は年の初めから鍛えられることになった。

 年賀状は家族みんなが待っていた。あて先別に仕分けするのも待ちきれず、小競り合いは新年の恒例行事となった。印刷されたカードには心をとらえられるものは少ないが、それでも子供や家族の写真の入ったものなどにはつい手を止めて微笑んでしまう。手書きが添えられていれば、たとえ一行でもその人の誠意を感じないわけにはいかない。

 年賀状には、いつも虚礼云々がついてまわる。しかし、年1回の安直なコミュニケーション手段として、これに優る素晴らしい方法は見出されてはいない。たとえ50円の音信でも、年に1回お互いの無事と近況を伝え合うだけで、自身の人生に多少なりとも潤いと豊かさをもたらすはずである。もとより、選挙目当てや商品の売り込みは論外であるが、これとてお年玉の当選チャンスが増えると思えばそれほど邪魔にはならないはずである。

 インフラがどんどん整備され、コミュニケーション手段は飛躍的に向上した。老若男女ことごとく携帯電話を持つようになり、誰もがインターネットを利用するようになった。それでも、意思の疎通がよくなったとか世の中のギスギス感が解消されたという話は聞いたことがない。やはり、コミュニケーションの基本はフェース・トゥ・フェースであり心と心の触れ合いであるはずだ。

 心をこめて書き上げる1枚の年賀状が、携帯電話の何通話分もの役割を果たしているはずである。
(2003年12月26日)