十五年後の年賀状

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[エッセイ 507]
十五年後の年賀状

 今年も、沢山の年賀状をいただいた。懐かしさとともに、平素のご無沙汰をわびる気持ちが交錯する。その一方、親しい人たちとの絆が細り、ほとんどそれだけになってしまったことを実感させられる。現役を引退し、体力の衰えもあって、外出する機会がめっきり少なくなってしまったことが一因である。しかし、これは相手方についてもいえることだ。ついては、15年前に書いたエッセー42号「年賀状」をもとに、それについてもう一度考えてみることにした。

 最近は、年賀ハガキの利用者が大きく減ったといわれるが、我々の世代には唯一無二の消息連絡手段であることに変わりはない。それだけに、裏面に書かかれた添え書きは、読む方にとって何物にも代えがたい親近感と安堵感を与えてくれる。逆に、暮れ早々に届けられる喪中ハガキには、どきりさせられることばかりである。その大半が、ご本人の他界を知らせるショッキングなものなのだ。

 今年出した年賀状は174枚、15年前は360枚だったのでその半分以下にまで減ってしまったことになる。実は、今年用意していた名簿には200名弱のお名前があった。しかし、いただいた喪中ハガキが23枚もあったのでそこまで減ってしまったわけだ。さらには、その理由の大半がご当人の他界によるものだったので、ほぼ同じ規模でわが家の“世間”は狭くなったことになる。

 こうした年賀の習慣は、奈良時代の貴族社会で行われていた新年の挨拶回りにまでさかのぼる。やがてそれは武家社会へと広まり、さらに広く書状を届けるという形に発展していった。時代は下り、1871年(明治4年)には郵便制度が発足し、その2年後には「ハガキ」が始まった。1880年代に入ると、そのハガキの簡便さが評価され、年賀への利用が急速に普及していった。この流れを受けて、1899年からは年賀のハガキを特別扱いするようになった。そして、1905年から、制度化された年賀ハガキが完全運用されることになった。

 戦後、年賀状は増える一方だったが、2003年の44億5千万枚、国民一人平均34.9枚をピークに漸減を続けている。eメールなど多様化する通信手段に食われたという見方もあるが、年賀状そのものが曲がり角にあることも間違いなかろう。多少観点は違うかもしれないが、今年届けられた年賀状の中にも「新年のご挨拶は今年限りとさせていただきます」というのが8枚もあった。

 わが家の世間は、現役引退とともに大きく縮小し、届く年賀状も半減した。その反面、ご近所とのお付き合いが大幅に増え、ドーナツ状だった世間はアンパン状に進化した。それでも、年賀状はぜひ続けていきたいと思っている。わが家にとって実質唯一の通信手段であり、生きている証でもあるためだ。義理などとい形式ではなく、心から、わが家の“世間”を維持したいと願っているのだ。
(2019年1月13日)