東京タワー

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[エッセイ 228](新作)
東京タワー

 上り急行・安芸号が品川を過ぎて間もなく、左の窓側に座っている人が突然ウォーという声をあげた。完成間もない東京タワーが、朝日を浴びてその目線の先にあった。昭和34年(1959)正月すぎ、冬休みを終えて再び上京してきたときのことである。私も、初めてその雄姿を目にし、一緒に感嘆の声をあげた。
 
 東京タワーが竣工したのは、前年・昭和33年の10月14日、正式オープンは12月23日であった。私は昭和32年の春から東京に住みだしたが、アパートと学校の間にはそれを見られる場所はなかった。その気になれば、工事中の様子なども見物できたはずだが、結局そのチャンスはつくることができなかった。

 東京タワーは、本格的に始まったテレビ放送を100キロ圏まで届けるために企画されたものだ。場所は、上野の山あたりを想定していたようだが、最終的にはさらに地盤のしっかりしている芝・増上寺裏の丘が選ばれた。

 本来なら380メートルの高さが必要だったが、当時は塔先端の揺れをカバーするだけの送信技術がなかった。そこで、限界ぎりぎりの333メートルに落ち着いたという。この高さは、パリ・エッフェル塔の321メートルを意識し、当時の世界一を目指したものであることは間違いあるまい。

 タワーの強度は、風圧に対して最上部で風速100メートルに耐えられること、地震に対しては関東大震災の2倍の揺れに耐えられるよう設計されているという。使った鋼材は4,200トン、工期は実質わずか1年3か月であった。

 防錆にはことのほか神経を使ったようだが、それでも5年に1回は塗り替えが必要だそうだ。塗装の総面積は78,000平方メートル、使う塗料はドラム缶で140本にもなるという。それを一回り1年かけて塗り替えるそうだ。

 地上150メートルのところには大展望台が、250メートルのところに特別展望台がある。その足元には、あの南極越冬隊で活躍したカラフト犬たちの銅像も飾られている。連日観光バスが押しかける東京観光の大きな目玉である。完成から平成18年までに、累積来場者数が1億5000万人に達したという。

 私は、いつでも行けると思い、長い間そこを訪れたことがなかった。子供たちも物心がついてきたある日、思い切って家族で東京観光に出かけた。タワー完成から17年余りが過ぎた昭和51年(1976)春、羽田空港などを回ってこのタワーを訪れた。以来30余年、また見上げるだけのタワーになっている。

 テレビ放送は、平成23年(2011)7月24日から地デジへの完全移行が予定されている。これに対応するため、高さ610メートルもの新しいタワー・東京スカイツリーの建設が始まった。こんなにみんなのために頑張ってきたのに、古いものはただ見捨てられていくのだろうか。
【東京タワー50周年記念】(2008年12月23日)