ラスベガス

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[エッセイ 84](既発表 4年前の作品)
ラスベガス

 米西海岸3日目のラスベガスでは、巨大ホテルが目についた。ラスベガスの中核産業であるホテルは、市内に約70軒ある。その総客室数は126,000室、1ホテルあたり平均1,800室である。

 「ストリップ」と呼ばれるメインストリートの両側に陣取る巨大ホテルは、MGMグランドの5,030室を筆頭に上位20ホテルで63,700室、1ホテルあたり3,180室という規模である。その巨大さは、東京と比べればすぐに納得がいく。都内のいわゆる都市ホテルは、45軒で13,300室、1ホテルあたり平均300室弱である。1,000室以上の大型ホテルは、ニューオータニの1,533室が最大で、京王プラザ、帝国ホテル等僅か4軒にすぎない。

 ラスベガスには、126,000室のホテルを満杯にするだけの魅力がある。各ホテル自慢の大掛かりな無料ショーを見物して歩くのもよし。度肝を抜くような体験アトラクションに身を置くのも悪くない。食通には、世界の腕自慢がてぐすねを引いて待っている。

 もとより、本命のカジノでは億万長者の誕生も日常の小さな出来事でしかない。私たちは、地上260メートルのストラトスフィア・タワー展望台で百万ドルの夜景に酔いしれた。ホテルベラッジオでは、特等席からの噴水ショーがたんのうできた。そしてダウンタウンでは、アーケードに映し出される光のショーでエキサイティングな気分を満喫できた。

 ラスベガスは、19世紀の初めにスペインの探検隊が砂漠のなかに泉を発見したのが始まりといわれている。1930年にフーバーダムの建設が決まり、翌1931年にはネヴァダ州議会でカジノが合法化された。町には、本格的なカジノホテルが姿をあらわすようになるが、この頃、カジノはマフィアによって支配されていた。

 1946年以降、「ストリップ」にはカジノを売り物とする豪華ホテルが次々と建てられるようになり、華やかなラスベガスが形づくられていった。徹底的なマフィア撲滅作戦に成功したラスベガスは、1990年代以降、家族みんなで楽しめるエンターテイメントの街へと大変身を遂げた。

 私は、ラスベガスは砂漠の中の孤立した町、伊豆あたりの温泉都市程度だろうと考えていた。ところが、タワーからの世界一の夜景でその認識は一変した。2003年の調査では、ラスベガス市の人口は53万人にも達していた。1990年が27万人であったことから、わずか13年で二倍の規模に成長した活力溢れる町であった。

 熱海の43,000人、伊東の75,000人とはけた違いの大都市である。近年日本では、公営ギャンブルが不振を極め、民営のパチンコ店の繁盛振りと際立った違いを見せているという。公営と民営、日本の温泉地とラスベガス、一体どこがどのように違うのだろう。
(2005年1月15日)