[エッセイ 615]
飛鳥の神社と山の辺のお寺
二泊目のホテルに案内されたとき、以前に泊まったことのあるところだったので驚いた。橿原神宮前駅の駅前にある全国チェーンの大型ホテルである。8年前の春、吉野山の桜を見に行くことになり、前泊して早めに現地に着いた方がいいだろう思って利用したところである。このときは、まだ行ったことのない平等院、法隆寺そして薬師寺を訪ねてこのホテルにたどり着いた。
時間があれば、薬師寺のすぐ近くにある唐招提寺と、このホテルに近い橿原神宮も訪ねるつもりでいた。しかし、唐招提寺に着いたときは閉門時間を過ぎ、翌朝訪ねるつもりだった橿原神宮は朝寝坊で断念せざるを得なかった。あらためて機会を作るつもりでいたが、偶然にもそのうちの一つが実現できた。
その朝、希望者だけで訪れた橿原神宮は、初代天皇・神武天皇と皇后をお祀りする神社である。この地には、もともと神武天皇の宮があったとされることから、地元の有志が神社創建に向けて活動を続けていた。その請願に感銘を受けた明治天皇が、1890年・明治23年に橿原神宮として創建したものである。
これまでの旅が、一千年をはるかに超える歴史ある神社仏閣を訪ね歩くことだったのに対し、この神社の、わずか130年の歳月はあまりにも軽いように感じられる。しかし、その短いと思われる歳月はそこに立つ建造物の経過年数であって、よって立つ歴史の重みとはまったく別次元のことである。
神武天皇は、あるいは神話の世界の人物かもしれない。しかし、異論はあるにせよ、このあたりが日本のそして皇室の発祥の地と考えてもそれほど不自然ではない。飛鳥を歩き、橿原神宮にお参りすることは、日本の、そして私たちの原点を考える上でそれなりに意義のあることではなかろうか。
この日の、最初のツアーの訪問先は、山辺の道沿いにある長岳寺という古刹だった。うらぶれた、淋しささえ感じさせる小さなお寺である。実は、ここの売り物は、壁際に並べて吊り下げられた掛け軸の観賞と住職の説明だった。ハードよりソフトといったところである。その9幅の掛け軸は、縦3.5m、横合計11mに及ぶ大作である。約400年前に、狩野山楽が書いたものだそうだ。
軸には、墓地、罪問間樹、死天山、三途の川、奪衣婆、賽の河原、八大地獄、餓鬼道、畜生道、修羅道などすさまじい情景が、そして最後の軸には聖衆来迎図が描かれている。その掛け軸の絵をもとに住職の説法が行われた。いままで聞いてきたお坊さんのお説教とはひと味違うユーモアに満ちた“お話”だった。
この日の午前中、前半は国の生い立ちを神道という視点から、後半は私たちの死後の世界を仏教という立ち位置で考えることができた。なにか、強制的に勉強させられたようでもあったが、意義ある楽しいひとときでもあった。
(2021年12月8日 藤原吉弘)