火事による大惨事

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[エッセイ 10](既発表 7年前の作品)
火事による大惨事

 先週、韓国の地下鉄で大火災が発生した。不幸にも、130人もの人が犠牲になった。その原因は、ある男が車内で自殺を図ったためといわれている。

 その男は、一人で死ぬのが怖く、多くの道連れが欲しかったといっているそうだ。なんとも身勝手な恐ろしい話である。この事件は、単なる自殺の巻き添えなんかではなく、大量殺人事件といったほうがあたっている。不幸なことに、地下鉄のシステム全体が火災に無防備であったこと、さらには火災発生後の対応があまりにもお粗末であったため、いっそう被害を拡大させてしまった。こうなると、この災害すべてが防ぎえた人災であったといわざるをえない。

 過日、仕事で赤坂に行った。日枝神社のそばには、プルデンシャルタワービルという完成間近の新しい超高層ビルが建っていた。その場所は、たしかホテルニュージャパンのあったところだ。そのホテルは、およそ30年前大火災を起こして焼け落ち、多くの人がその巻き添えで亡くなったところである。

 私はつい2週間前、NHKの「プロジェクトX」という番組で、多くの宿泊客がそのホテル火災から救出される光景を見たばかりであった。その番組は、野に埋もれている人たちの活躍を描いたドキュメンタリー仕立てのもので、テーマミュージック「地上の星」とともに大変な人気を呼んでいる。その番組では、大惨事の悲惨さとレスキュー隊の智恵と勇気を伝えていた。このホテルの大火災も、安全を忘れ営利に走った典型的な人災であった。

 アメリカ大陸には、森林火災によって発芽する木のタネがあるらしい。そのタネは、普段は硬い殻に覆われていて、火災が発生した時にだけ熱で殻がはじけ芽を出すことができるようになっている。森林は、何年か何十年かに一度かならず自然に火災が発生する。その時、いち早く芽を出して自分の種族の繁栄を図ろうとする。そのタネの木のライフサイクルは、自然現象としての森林火災を前提にしているわけである。森林火災は人類にとっては脅威であるが、森林の再生にとっては案外必要不可欠なことなのかもしれない。

 安全性か経済性かはたまたサービスが先か。いまどき、このようなナンセンスな議論は存在しないであろうが、案外、企業責任者の内心では厳しい葛藤が続いているのかもしれない。まさか、人災を前提にした議論などあろうはずはないが、それが何かの拍子で逆に振れることがないとはいいきれない。

 人は、大自然の前には無力である。それでも、人は治山治水を成し遂げそれなりの成果を上げてきた。自然災害をも克服しようとする人間が、人災をコントロールできないはずはない。正義を共有し、それに立脚した社会システムが構築できれば、「人災」は死語となるはずである。
(2003年2月23日)