流鏑馬

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[エッセイ 219](新作)
流鏑馬

 すぐ目の前を、猛烈な勢いでダンプカーが走り抜けていく。流鏑馬(やぶさめ)は、そんな迫力をもってすぐ間近で見守る観衆たちに迫ってくる。

 馬がスタートしてまもなく、パーンという乾いた音が響き、万雷の拍手が起こった。的に矢が命中したのだ。一呼吸おいて、今度はブスッという低い濁った音が伝わってくる。周囲からは「アー」という落胆の声が漏れる。

 9月16日、鎌倉の鶴岡八幡宮に、流鏑馬の見物に出かけた。始まりは午後1時からというのに、現地に着いた12時過ぎには観覧席はあらかた埋まっていた。それでも、なんとか隙間に潜り込み、実際に馬が走りだすまでの1時間半を、人ごみのなかで辛抱強く待ち続けた。

 馬場は、参道に直角に横切る形で東西方向に設けられている。幅約十メートル、長さは二百数十メートルの直線の空間である。中央に、ロープで仕切られたレーンがあり、馬はここを東から西へと走り抜けていく。途中3カ所、進行方向左手に的の板が立てられている。的と的の間隔は80メートルだという。

 射手とよばれる武者が、レーンを疾走する馬の上から弓矢で次々と的を射ていく。パフォーマンスは全部で18回行われるが、最初の3回が神事、あとの15回はアトラクションのようである。装束も、神事の3回は鎌倉時代の狩りの正装、あとの15回は江戸時代の軽装だそうだ。それにしても、古式豊かに繰り広げられる時代絵巻は、世代を超えて見る人を感動させずにはおかない。

 この鶴岡八幡宮流鏑馬は、1187年8月15日の放生会(ほうじょうえ)に際し、源頼朝が催行したのが始まりといわれている。鶴岡八幡宮の秋の流鏑馬は、例年9月14日から16日まで行われる例大祭の一環であり、一年を通して最も重い祭事だという。秋は、小笠原流という流派が一切を任されるそうだ。

 流鏑馬とは、馬を駆けさせながら馬上から鏑矢(かぶらや)を射る、日本の伝統的な騎射(うまゆみ)のことである。平安時代から鎌倉時代にかけて、馬上の実践的な弓術の一つとして普及した。やがて、流鏑馬は武運祈願など社寺に奉納される神事としても取り上げられるようになった。

 その一方、流鏑馬は武器や戦術の進歩とともに武術としての意義が薄らぎ廃れていった。再び盛んになったのは、徳川八代将軍・吉宗が再興を意図したことによる。いまの流儀は、そのとき整備されたものが元になっているという。以降何度か衰退の危機を乗り越え、いまに脈々と受け継がれている。

 せっかくそこに居あわせても、人ごみの中では矢が当たる瞬間は耳で感じとることしかできない。それでも、祭りの迫力と興奮は現場でしか味わうことはできない。
(2008年9月18日)