イチョウにまつわる矛盾

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[エッセイ 538]
イチョウにまつわる矛盾

 

 いま、イチョウの木が越冬の準備を加速させている。その様子に魅せられて、エッセーにまとめたばかりである。ところが、それを書き終えてなお、心の中に割り切れないものが残った。原産地の中国から日本に渡来した時期のことである。さらには、それに付随して、イチョウの木の寿命にも大きな疑問が残った。渡来時期については、諸説あって未だ定かではないようだが、どうやら、600年前の「15世紀前半」というのが定説になりつつあるようだ。


 ここで、大きな矛盾を感じるようになってきた事例を紹介する。2010年3月10日に強風で倒壊した鎌倉鶴岡八幡宮の“隠れ銀杏”のことである。この木は、鎌倉幕府第三代将軍源実朝が、甥の公曉に暗殺された事件の舞台となったところである。公曉は、石段脇のこの大木の陰に隠れて待ち伏せし、実朝を襲ったということになっている。1219年1月27日夜のことだったそうだ。


 この事件は、イチョウが日本に入ってくる200年も前に起こったことになる。しかも、このイチョウの木は、当時すでに相当な大木になっていたといわれ、それ以降いまから10年前の倒壊まで、さらに800年も生き続けていたことになる。あのイチョウの木は、私も倒れた後の様子を実際に見てみたが、中身が空洞になっていて年輪を数えることはできなかった。


 暗殺事件そのものは史実として伝えられているが、事件現場が石段脇だったかどうか、はっきり断定することはできない。さらに、仮にそこになにかの大木があったとしても、イチョウではなく別の樹種だった可能性もある。この鶴岡八幡宮は、源頼朝が挙兵後の1180年に、材木座にあった神社を背後の北山に移したものである。杉の大木かなにかがあったとしても不思議ではない。


 なにしろ、イチョウの木は野生絶滅危惧種に指定されているように、自力では無理で、人の手で植えてやらないと育たないのだそうだ。もし、あの場所に植えたものであるとしたら、事件はそれからわすか39年後ということになり、とても大木に育っていたとはいいにくい。


 俗説では、この木は“1000年の大木”といわれていたようだが、その様子からせいぜい200~300年ではなかったかと思う。倒れた木は二代目だったという説もあるが、いずれにしても日本に渡来してきてまだ600年しか経っていないのだから、それらの整合性はとりようがない。


 結局、この短文は問題提起に終わり、結論は何一つ導き出すことはできなかった。専門家の今後の研究成果に期待したい。ところで、倒壊し、いろいろ手を尽くされているあの“隠れ銀杏”はいまどうなっているだろう。しばらく現場に行っていないので、このテーマとは別にしても心配なことである。
                     (2019年12月15日 藤原吉弘)