湖水地方

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[エッセイ 102](既発表 3年前の作品)
湖水地方

 わが家のリビングルームには、ピーターラビットの縫いぐるみが2体飾られている。スカイブルーのチョッキを着て、人参を手にしたあの野ウサギである。いずれも、ある信託銀行で預金したときにもらったものだ。
 
 イングランド最北部、ここ湖水地方(Lake District)は山紫水明の地であった。南端の、ウインダミア湖畔のホテルを出たバスは、山と湖の間を縫うようにして一気に北上した。最初に訪れた湖水地方北部の中心地ケズウイックは、ダーウエント湖畔に開けた美しい町であった。なにからなにまで石で造られた、お伽話に出てくるようなメルヘンチックな町である。

 次に案内されたのは、ロマン派詩人ウイリアムワーズワースゆかりの家ダヴ・コテージであった。高校時代、彼の詩を原文で勉強したという人もいたが、われら夫婦は名前さえろくに知らなかった。一番賑やかなウインダミア湖に戻った私たちは、レイククルーズと蒸気機関車の旅に時を忘れた。線路脇の草地には野ウサギがたくさん遊んでおり、乗客みんなを楽しませてくれた。

 その野ウサギたち、最後の訪問先「ビアトリクス・ポターの世界館」ででも待っていてくれた。ここは、世界中で愛されている絵本「ピーターラビットのお話」をはじめ、ビアトリクス・ポターが書いた作品のキャラクターと出会える記念館である。物語の代表的な場面がいくつか設定され、そのそれぞれのステージに縫いぐるみのキャラクターたちが配置されている。

 絵本の作者ビアトリクス・ポターはこの地方をこよなく愛し、その半生をこの地で送った。彼女は、知り合いの息子が病気で寝ていたとき、励ましのメッセージを絵手紙で送ったことがある。それが元になって、自分で飼っていたウサギ「ピーター」を主人公にした絵本が出版された。その絵本はたちまち世界的なベストセラーとなり、その後も続けて七冊のシリーズ本が出版された。

 1900年代初頭、彼女が30歳代後半のことである。彼女は、この美しい湖水地方が乱開発によって壊されていくのを防ぐため、その絵本の印税の大半をつぎ込んで、次々と土地を手に入れていった。77歳で亡くなるまで彼女が守ってきた土地は、遺言によりナショナル・トラストにまとめて寄付された。

 氷河がつくりあげた森と湖の豊な広がり。日本なら、会津裏磐梯を連想させる。イングランド一美しいといわれる文学とラビットのふるさと湖水地方。その美しい自然を維持できたのは、ナショナル・トラストの活動に負うところが大きい。その民間環境保護団体の活動にとって、ビアトリクス・ポターの存在と寄付が大きな弾みとなったことはいうまでもあるまい。

 湖水地方の豊な自然は、民間人だけでも立派に環境を守り抜けることを実証してくれている。
(2005年7月23日)

写真 上:ホテル前の堰(ウインダミア湖のそば)
    下:「ビアトリクス・ポターの世界館」のうさぎたち