ロンドン

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[エッセイ 100](既発表 3年前の作品)
ロンドン

 私がまだ、若手といわれていたころの東京・丸の内がこんなふうであった。一つひとつのビルがみな大きくて風格があり重量感に満ちていた。手間とお金がかかっていそうで、庶民には威圧感さえ感じさせた。ビルの高さや壁面はきれいに揃えられ、デザインや色調も調和のとれたものになっている。電柱や屋外広告などひとつとして見当たらず、けばけばしさなどみじんも感じさせない。景観を、そして伝統をいかに大切にしているか、だれの目にも明らかである。

 ロンドンの中心部は、そのような街並みが幾重にも広がっている。道路はあまり広くはないが、表通りは最低でも銀座通りくらいの道幅は確保されている。要所要所にロータリーがあり、銅像がいくつも置かれている。ロンドン一の繁華街といわれる「ピカデリーサーカス」も、人出が多いだけで場末の雰囲気はかけらも感じさせない。そのロータリーを囲むビルの一つが、珍しく広告塔になっていた。三段に仕切られた壁面は、最上段にMc Donald’s、中段にはTDK、そして下段にはSANYOというネオンがきらめいていた。

 かの有名なデパート「Harrods」も、壮麗な大建築である。売り場の華麗さはそれをさらに上まわっていた。ロビーの一角に祭壇があり、故ダイアナ妃と一緒に非業の死を遂げた恋人の写真が並べて飾ってあった。聞けば、このデパートの御曹司だったという。エンターテイメントに目を転じれば、「オペラ座の怪人」、「レ・ミゼラブル」そして「ライオンキング」などミュージカルが健闘を続けている。そして、あのビートルズたち、彼等もこの地から巣立っていった。表面の重厚さとは裏腹に、内面の華やかさもまたロンドンの顔である。

 ロンドンは、ローマ人がブリテン島の支配拠点として上陸したのが始まりといわれている。11世紀、今度はノルマン公率いるノルマン軍によって征服された。イングランド全体を支配下においたノルマン公は、ウイリアム一世としてイギリス王室の開祖となった。ロンドンは、17世紀になって清教徒革命、ペストの大流行、市街地の大火災など大きな事件につぎつぎと遭遇した。それを乗り越え、18世紀半ばには産業革命の中核都市として繁栄を謳歌した。19世紀初頭には、人口100万人を突破し世界最大の都市となった。1851年には世界初の万国博覧会を開催し、1863年には世界で初めて地下鉄を開通させた。人口728万人、いまも世界有数の大都市である。

 世界中の富を集め、繁栄を極めたロンドンには、永年培った文化的、経済的な蓄積がある。その蓄積と伝統の重みは、一方でロンドンを変革させ発展させるときの大きな足かせとなる。それを乗り越えられたとき、ロンドンはふたたび繁栄の先頭に立つことができるであろう。
(2005年6月19日)

写真 上:国会議事堂とビッグ・ベン
    下:バッキンガム宮殿と衛兵