紫陽花

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[エッセイ 20](既発表 5年前の作品)
紫陽花

 また梅雨の季節がやってきた。関東地方の梅雨は、6月半ばから夏休み直前までのおよそ40日間続く。梅雨の前半はしとしと雨が中心で、晴れ間の覗くことも多い。後半になると雨量が多く、土砂災害に見舞われるのもこのころである。気温はもとより湿度も高く、一日中むしむしする。部屋は湿っぽく、室内のいたるところにカビが生えてくる。食べ物は腐りやすく、食中毒の危険性がつきまとう。

 いうまでもなく、梅雨は日本になくてはならない大切なものである。田植えや、その後の稲作にも大量の水が欠かせない。夏の暑さを乗り切るためにも多くの水が必要とされる。日本は、梅雨どきに降った大量の雨を、ダムや貯水池に溜め込むことによってそれらの需要をまかなってきた。

 子供のころ、梅雨は日本の代表的な田園風景を演出した。親類縁者が総出で田んぼに集い、人海戦術で田植えを急ぐ。きれいに植え付けられた苗すれすれに、子育てに忙しいツバメ夫婦が飛びかう。畦道では、雨に濡れた紫陽花たちがその美しさを競っている。雨の日は、蓑に菅笠も珍しくない時代であった。

 紫陽花は、梅雨とは切っても切り離せない存在である。梅雨どきになると、紫陽花は近隣の垣根の間から顔をのぞかせる。あの家もこちらの庭にも、こぞって紫色の花を披露する。紫陽花たちは、お寺や神社などの公共の場所でも育てられ、多くの人の目を楽しませてくれる。

 紫陽花の名所といわれるところも少なくない。その一つは、箱根登山鉄道沿いの光景である。最近は車を使うことが多く、宣伝ポスターくらいでしか楽しむことはないが、ちょうど梅雨のさなか、雨を押して箱根を訪れる観光客にしばしの安らぎをもたらしてくれている。もう一つは鎌倉の明月院である。尼寺の質素な佇まいに、紫陽花の群生がほどよく溶け合っている。しかし、人の手が入りすぎたせいか、最近いやに俗っぽくなってしまった。

 紫陽花は、場所を選ばず私たちを楽しませてくれる。日陰であろうと日当たりのいい場所であろうと、肥沃な土地であろうとやせ地であろうと、酸性であろうとアルカリ性の土壌であろうと。その花の色を変えながら、与えられた環境に立派に適応していく。

 紫陽花は、植えられた場所やその時の状況によっても、その輝き方を変えて見せる。雨にたたずむしっとりとした薄紫、太陽に輝くやや濃い目の赤と青。雨が一番似合うはずなのに、紫色の太陽の花と表現されるしたたかな妖しい花である。

 私たちは、一様に梅雨は嫌いだという。紫陽花は、たとえ梅雨時でも、季節を楽しみエンジョイできることを教えてくれる。
(2003年6月21日)