働き過ぎの梅雨前線

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[エッセイ 521]
働き過ぎの梅雨前線

 梅雨どきは、雨が降り続くとはかぎらない。とびとびではあっても、晴天が現れることもあれば、中休みが何日も続くこともある。他の季節に比べて、相対的に雨が多いというだけのことである。ただ、例年なら、梅雨が明けて夏になると、全く雨の降らないカラカラの暑い日が続くことになる。その劇的な変化が、梅雨どきの雨の多さを強く印象づける。

 ところが、今年の梅雨はまさに雨期そのものである。何日間も雨が降り続き、太陽が顔をのぞかせる日はほとんどない。それに加えて、気温の低い日が続いている。とくに東日本の場合、「やませ」と呼ばれる北東の冷たい風が吹き寄せ、その低温傾向に拍車をかけている。

 その原因は、北のオホーツク海高気圧が発達して衰えを見せないこと。その一方、南の太平洋高気圧が日本の上空まで張り出してこないことである。そのため、両者の境目にある梅雨前線がいつまでも日本の南岸に停滞したままになっているのだ。北の高気圧からの冷気は、偏東風となって前線に向かって吹き込むため、とくに東日本の太平洋側はその冷たい風にさらされ続けることになる。

 こうした日照不足と低温傾向は農作物の作柄に端的に表れる。花が咲かない、咲いても数が少なかったりすぐ散ったりする。その結果、実がならない、なっても数が少なく成長も悪い。せっかく成長しても、水っぽいなど品質的に深刻な影響が現れる。このような現象は、ナスやキュウリにすでに現れている。これから心配なのは、米の作柄に深刻な影響が現れることである。

 私が転勤で仙台に赴任した1976年(昭和51年)がそうだった。梅雨に続いて夏の間もそのような傾向が続いた。雨の多い冷夏となったのだ。東北地方の主要産業である稲作は、「冷害」と呼ばれる大きなダメージを受けた。とくに、やませの吹き込む太平洋側の受けた打撃は深刻だった。東北地方の景気は極端に冷え込み、営業担当の私は赴任早々から苦労を強いられることになった。

 全国的に最も深刻だったのは、最近では2003年(平成15年)の夏だった。8月になっても雨模様の寒い日が続き、人々を震え上がらせた。そして、その影響は秋になって端的に表れた。米が極端に足りなくなり、その多くを外国からの輸入に頼ることになったのだ。しかし、あの細長い外米は日本人の好みには合わないため、それを乗り切るためにみな大変な苦労をした。

 例年どおりなら、あと一週間もすれば梅雨が明けるはずである。しかし、この先一週間の天気予報を見ても、お日さまのマークは現れてこない。気象予報士も言葉を濁したままだ。梅雨前線には、“これ以上働き過ぎないでほしい”といいたい。暑い夏は好みではないが、ぜひ暑くなって秋の稔りに備えてほしい。
(2019年7月14日)