CSとコンプライアンス

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[エッセイ 197](新作)
CSとコンプライアンス
 
 豚肉や鶏肉などを混ぜた偽装のミンチを牛100%と騙る。輸入した牛肉や鶏肉を国産と偽る。色の悪い肉に牛の血を混ぜて新鮮な色に見せかける。はては、腐りかけた牛肉や病気の危険性のある輸入鳥肉まで混ぜて売る。「羊頭狗肉」の諺さえ色あせてしまいそうな、食肉取り扱い業者の悪行の一例である。
 
 昨年1年間に発覚した偽装事件の大半は食品関連業種である。偽装しやすい、偽装してもばれにくい、というのがその動機の一つになっているようだ。裏を返せば、その条件さえ整えば、どの業界でもやりかねないということだろうか。近年、コンプライアンスCompliance)という横文字が、法令遵守という意味合いで強調されるようになったのも、このような風潮を反映したものであろう。

 かつて産業界は、国際競争に勝ち抜くため、品質の確保とコスト競争力の向上に至上命題として取り組んできた。企業は、「勝者の論理」でそれを強力に推し進め、世界のトップレベルへとのし上がった。顧客はその恩恵にあずかり十分に満足した。企業はその成果を利益として享受し、新たな発展へとつなげた。

 ところが、いつの間にか欲しい物は満たされ、商品やサービスは選択の時代に入っていた。企業は、もはや自分の論理だけでは活動できない時代になっていた。内向きで、顧客の顔などチラリとしか見ることのなかった企業が、その顔の半分以上を顧客に向けるようになった。「顧客の論理」にそった顧客満足の追求活動は、こうして企業の中心部へと浸透していった。

 この活動はCS(Customer Satisfaction)活動と呼ばれ、商品を使う人やサービスを受ける人の、より高いレベルの要求に応えていこうとするものである。顧客の満足は、その顧客の要求するレベルを超えたときに達成される。したがって、顧客満足の追求は、顧客の要求レベルを見極めることから始まる。

 その一方、このような潮流に逆らうように、倫理はもとより法令までも踏みにじって儲けようとする連中が目立つようになった。経営手腕などみじんも持ち合わせていないのに、利益追求の欲求だけは旺盛な輩である。銀行強盗さえ正当化しかねない、いわば「敗者の論理」を振りかざしてばっこしている。

 羊頭狗肉は中国の古い諺であるが、いまも新鮮な響きを持ちつづけているのは皮肉なことである。コンプライアンス法令遵守などということを、大の大人に言い聞かせなければならないほど、人の世は腐っているのだろうか。

 利益は、企業活動の継続的な発展を支える必要不可欠の源泉である。しかし利益は、自ら手を伸ばしてそれだけを掴み獲るものでは決してない。まして詐欺などの、コンプライアンスから外れたやり方は論外である。利益は、満足させたご褒美として、その顧客から高い評価とともに贈られるものである。
(2008年1月28日)