ポンペイ

イメージ 1

[エッセイ 182] (新作)
ポンペイ
 
 古代ローマ時代のポンペイを消し去ったベズビオ火山の大噴火が迫っており、今度はナポリが消滅する可能性が高い。(中略)。噴火した場合、ポンペイを破壊した紀元79年を上回り、ナポリ付近までを火山灰などで埋めた約3千8百年前の大噴火と同程度になる可能性が高いという。共同通信は、8月31日付けでこんなショッキングな記事を配信した。

 ポンペイは、紀元1世紀のあのときまで、700年間にわたって栄えた古代都市である。町はイタリアのナポリから東へ約50キロのところにあって、ベズビオ火山を背に、前には地中海が広がっている。最盛期には人口2万人を超える都市国家でもあったが、末期にはローマの属国となった。

 紀元79年8月24日、背後のベズビオ火山が大噴火を起こした。一昼夜にわたって火山灰が降り続き、翌25日には町は完全に埋まってしまった。堆積した火山灰の層は14メートル前後にも達したという。多くの人は逃げ延びたが、約2千人が火山灰に飲み込まれてしまった。

 それから永いながい歳月が流れ、ポンペイは人々からすっかり忘れ去られてしまった。1500年後の紀元1599年、偶然その遺跡の一部が発見されたが、手つかずのまま再び永い眠りについた。次に発見されたのは1748年である。このときを境に本格的な発掘が始まり、瞬間凍結された当時の生の姿がよみがえってきた。今では、世界文化遺産として大切に保存されている。

 ここを訪れたのはもう十数年も前になるが、その文明のレベルの高さに圧倒されてしまった。町はおよそ66ヘクタール、街路はよく整備されすべて敷石で舗装されている。メイン通りは歩道と車道に分けられ、車道の敷石には荷車の轍が深く刻み込まれていた。上・下水道ももちろん整備されていたという。

 公共施設は、行政機関、議会、法廷、市民広場、神殿、円形劇場、野外闘技場、製粉所、各種市場、そして公衆浴場まであった。街には、ホテルからバー、レストランまで、日常生活に必要なものはすべてそろっていた。建物は石造りであるが、漆喰の壁には鮮やかな壁画が多数残され、当時の生活ぶりをしのぶことができる。電気と自動車を除けば、現代社会と変わらないレベルである。

 火山灰から逃げ遅れた人たちは、生きたまま灰に埋められてしまった。灰は時間とともに堅く固まり、下の肉体は朽ちて人の形をした空洞が残った。研究者たちは、その空洞に石膏を流し込んで被災当時の苦悶の姿を再現した。それらを前にするとき、大自然の恐ろしさをあらためて思い知らされる。

 「ナポリを見て死ね」という言い伝えがある。もし新聞記事のように、ナポリまで火山灰で埋まってしまったら、多くの人が死ぬに死ねないことになる。
(2007年9月5日)