ハワイ旅行 半世紀前の思い出③(最終章)

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[エッセイ 495]
ハワイ旅行 半世紀前の思い出(最終章)

 ハワイ島では、キラウエア火山の火口近くで、噴火の様子を直接見物することができた。普段は爆発的な噴火はなく、溶岩は粘りけがあるので飛び散ることもない。観光客は、すぐ近くで見物することができた。その火山の活動が、いま活発になり、流れ出した溶岩で下流部は大変なことになっていると聞く。

 そのハワイ島にも、昔は路線バスが走っていたそうだ。ただ、モータリゼーションの波に飲まれて、客がどんどん減り、ついには廃止に追い込まれたという。当時の私たちにはまだ信じられない現象だった。しかし、その後の日本はその足どりをそのままたどっている。わがふる里でも、モータリゼーションと人口減少のダブルパンチを受けて、路線バスは減便を続け、いまや廃止寸前である。

 オアフ島のホノルル空港では、外国人はすべてランの花のレイで出迎えてくれた。それだけでハワイに来たつもりになれた。このオモテナシはいまもあるのだろうか。ネットで調べてみたら、有料のレイの広告がたくさんあった。

 オアフ島のわれらのホテルは、ワイキキビーチのすぐそばにあった。ここでは、海に面しているホテルと離れたところのそれとでは格式が違うようだ。さらには、同じシーサイドのホテルでも、海側と陸側の部屋では料金に大きな差があるという。そのハワイのホテルは、玄関ドアがないのが一般的だった。ハワイは嵐が少なく、犯罪もほとんどないためだそうだ。いまも本当にそうだろうか。

 オアフ島のマカハ・ヴァレー・カントリークラブというゴルフ場で、オプショナルメニューのゴルフを楽しんだ。実際に行って見ると、着替えは倉庫のようなロッカー、昼食は業者が配達してきたハンバーガーを外の芝生の上で食べさせられた。シャワーなど、もちろん使えなかった。おもてなしのハワイといえども、ビジターはクラブハウスには一歩も入れてもらえなかった。

 ホノルルのワイキキビーチで実際に泳いでみた。大丸で買ったあのトランクスを着けて。白い砂浜と青い海、それを彩るように白亜の高層ホテルと椰子の林が並ぶ。遠くに、ダイヤモンド・ヘッドの黒い影が望める。そこに、ビキニ姿のおねえさんたちが華を添える。海水は温かく、波も意外と静かだ。感触はふる里のそれと同じだった。やはり、海は世界中が繋がっているようだ。

 帰国のとき、生のパイナップルをお土産にした。植物検疫の申告は必要なく、自由に持ち込みできた。この植物には虫がつかないためだそうだ。現地の畑で完熟させたパイナップルは、風味も格別だった。大きなパイナップルを2個、それに免税の洋酒を3本、重いものばかりを苦労して持ち帰った。

 海外旅行は、ハワイから始めハワイで締めるつもりだった。しかし、どうやら気持ちだけで終わりそうだ。
(2018年9月14日)