昭和のニュータウン

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[風を感じ、ときを想う日記](92)5/23
昭和のニュータウン

 昨日、所用があって近所の郵便局に出向いた。ついでにと、そこから5分ほどの住宅公団の団地を一回りしてみた。普段から欠かさないよう心がけているウォーキングの代わりである。

 そこは、新婚から地方に転勤するまでの10年間、家族みんなでお世話になったところでもある。私たちの住んでいた棟のすぐ裏は、子供なら野球もできる広いグランドになっていた。昨日、その広場では、老人たち20人ばかりがゲートボールに打ち興じていた。

 かつては、何十倍という抽選を勝ち残らなければ入居できなかった。子供は小さく、親たちも若かった。やがて子供も育ち、小学校も2校に増えた。その広場は、子供たちの元気な声で満ち溢れていた。彼らの発する歓声と、そこで巻き上がる砂埃で、わが家は夏でも窓を開けることができなかった。

 いま、その団地には空室が目立ち、大木になったケヤキ並木には「入居者募集」ののぼり旗がむなしくはためいている。あの広場の主役たちは、いま一体どこへいってしまったのだろう。

 昭和の花形であったニュータウンの、高齢化と空洞化は全国共通の悩みである。昨夜、たまたま見かけたNHKの「クローズアップ現代」に、その再生のヒントがいくつかあげられていた。