大庭城址公園のサクラ

[エッセイ 625]

大庭城址公園のサクラ

 

 数日前、東京ではサクラが満開になったと、その映像とともに賑やかな騒ぎまで伝わってきた。全国的にも先頭集団に並ぶ早さである。その東京より温かいはずのこの辺りが、やっと咲き始めたばかりだというのに・・。一体なにがあったというのだろう。ところが一昨日、突然ご近所の名物桜が満開に近い状態に大変貌を遂げた。これは、すぐにでもサクラ見物に出かけなければなるまい。

 

 かくして、昨日の月曜日、近隣一番のサクラの名所である大庭城址公園に出かけることにした。天気予報では“花曇り”といっていたが、“晴れ”に近い理想的な空模様だった。混雑を覚悟していたがさすがにウィークデー、春休みの最中にもかかわらず拍子抜けするくらいがらがらだった。その後の予定も考慮して車で出かけたが、駐車場もすんなりと入ることができた。

 

 たくさんある中でずば抜けて大きく、しかも芝生広場の中央に一本だけデンと構えているシンボル的な存在のその大木はほぼ満開に近かった。背も高いが、枝の横への広がりにとくに風格を感じさせる。広場を囲むように植えられた木々も同じように満開に近かった。それらの、いわば後輩たちがそれぞれのポジションから声援を送り、中央の先輩をもり立てている風情である。

 

 ところで、今年新たに登場したNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、初期のころ大庭景親の名前がしばしば登場した。石橋山の合戦で源頼朝に一旦は勝利するが、結局は負けて斬首されることになる。この大庭城址公園は、その景親の父・大庭景宗が拓いた城だった。1590年ころ廃城となり長い間放置されていたが、昭和60年に市立公園として庶民に開放されることになった。

 

 元々、台形の小高い丘だったらしく、周りは原始林の茂る急斜面に囲まれている。そのため、石垣や掘り割りなどはなく、おまけに頂上はほぼ平らできわめて使いやすい地形だったようだ。いまもある遺跡といえば、上部に少しだけ残る空堀と本丸跡の礎石くらいである。公園としての設備は、3箇所のトイレと1箇所にまとめて設置されている子供向け遊具の他はほとんど見当たらない。

 

 この、自然に満ちた大庭城址公園は、サクラの季節に限らず、一年中散歩先として利用させてもらっている。花も、一年を通して楽しめるようあらゆる種類の花が植えられている。ソメイヨシノが終われば各種山桜が、そしてシャクナゲたちが私たちの目を楽しませてくれる。それも、周りに残る大自然が、懐の広い引き立て役となって花々をもり立てているためであろう。

 

 あと2~3日もすれば、今度はこの大庭城址公園の足下を流れる引地川河畔のサクラ並木がピークを迎える。風の流れの関係だろうか、両地区には4~5日のズレがあり、小山の上と足下の河川敷で春を二段階に楽しむことができる。

                      (2022年3月29日 藤原吉弘)

[追伸]

 肝心の、主役として書いた大きな桜の写真は、「10MBを超えています」として入力・投稿できませんでし。皆さまにはご了承ください。