母の骨折

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[エッセイ 166](新作)
母の骨折
 
 とんぼ返りとはこういうことをいうのだろうか。郷里の福祉施設でお世話になっている母を見舞い、5日ぶりに安堵の帰宅をした。その4日後、母が大腿骨を骨折したという知らせが入った。一番心配していたことが起こってしまった。溜まっていた用事を済ませ、郷里に引き返した。

 母は病院ではなくその施設にいた。ベッドに座っており、痛みを感じている様子はなかった。しかし、大腿骨は完全に折れ、歩行は不可能だという。手術するかどうか、医師と相談して決めてほしいということであった。

 医師の示すレントゲン写真には、骨折の状態がはっきりと写っていた。大腿骨の股関節に近いところであった。手術をして折れた部分を金具で固定すれば、元通りの状態になるという。手術そのものはそれほど難しいものではないが、むしろその後のリハビリに大きな課題を残しそうであった。

 大腿骨は、生活に欠かすことのできない基軸となる骨である。ところが、私たちの骨は加齢とともにもろくなり、それを支える筋肉も弾力性を失ってくる。高齢者には骨折のリスクが付きまとい、一旦骨折すると、回復は難しくそのまま寝たきりになってしまうことが多い。

 私は迷った。90歳を過ぎた体で、はたして大手術に耐えられるだろうか。強い麻酔で、認知症が一気に進むことはないだろうか。たとえ手術が成功しても、傷が癒え、リハビリにこぎつける前に寝たきりになってしまうのではないか。もしそうなると、寿命は急速に縮まるという。

 一方、いまのままでも1ヵ月くらいで周囲が固まり痛みは感じられなくなるという。歩行は難しいが、今もそうしているように座ることはできる。うまくすれば、歩行サークルにつかまり歩けるようになる可能性もあるという。

 手術は見合わせることにした。医師や施設側も、暗にそれを支持しているようにみえた。さいわい、痛がる様子はまったくない。もともと歩けるといっても、杖を頼りに施設の廊下を往復する程度であった。多少なりとも歩けるがために、何度も転び顔は傷だらけになっていた。うまくいって歩行サークルで歩けるようになれば、逆にけがの心配はあまりなくなる。

 施設側では、いままでどおり親身に面倒を見てくださるという。母の実母は106歳の天寿を全うした。その血を直接引く母も、その強い意志と生命力で復活してくれることを期待したい。

 いつの間にか私も、幸せな老後について、幸運な最期について、あれこれ思いめぐらあす領域に入ってきた。健康に留意し、せめて母に先立つことだけはないようにしたいと考えている。
(2007年4月18日)