腰痛

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[エッセイ 66](既発表 5年前の作品)
腰痛

 近ごろ、私の仕事仲間にも腰痛で苦しんでいる若い人が多い。生活が豊かになり、みんなひ弱になってしまったのだろうか。もっとも、ひとのことをとやかくいえる柄ではなかった。

 20年前、私もひどい腰痛に悩まされたことがある。じっとしているだけで、気持ちが悪くなるほど悪化した。あまりの痛さにたまりかね、仕事をほうり投げて行きつけの医院に駆け込んだ。いや、這いこんだ。レントゲンで見てもらったところ、背骨の椎骨の一つが上下につぶれていた。

 「あなたは子供のころ、なにか重たいものを持ったことがあるでしょう」と呆れ顔でいわれた。まだ骨が固まりきらない時分にそういうことをすると、骨を変形させてしまうことがある。若いうちは体が柔らかいので何でもないが、年齢を重ねるうちに筋肉が硬くなり神経にさわるようになる・・・とのことであった。

 小学生が家の農作業を手伝うのはあたりまえの時代、畑仕事の合間に見下ろす瀬戸内の景観は私の心を豊に育んでくれた。段々畑と、「おいこ」から伝わるみかんの重みは、子供の足腰を十分に鍛えてくれた。そうした体験が、私の心身両面にわたる強い自信の裏づけとなっていた。それが、30年後にこんなかたちで跳ねかえってくるとは。

 理由はわかったがこの痛さは何とかなりませんかというと、先生はしばらく唸っていたが、やがて「やってみますか!」と力強く答えてくれた。その声は、大きな冒険の第一歩を踏み出すときの掛け声にも似ていた。

 いよいよ治療が始まった。ベッドにうつぶせになってお尻を出せという。見ると、看護婦が大きな注射を用意していた。ブスッ。そのまま液体をゆっくりと注入していく。しばらくすると、「大丈夫ですか?」と声がかかってきた。液体はまだ半分近く残っていた。「ダイジョウブですよ」と答えるとさらに注入を続ける。しばらくすると、「気分はどうですか?」とまた声がかかる。「ダイジョウブですよ!」と、少々声が荒くなる。

 こうして、週1回の注射が5~6回続けられた。痛みはみるみる軽くなり、1ヵ月が過ぎたころから、腰をしゃんと伸ばして歩けるようになった。なにやら、危なっかしい感じがつきまとってはいたが、奇跡は現実のものとなった。

 腰痛が治まって1年くらい経ったある日、風邪をこじらせて例の医院に行くと頼りにしていた先生の姿が見えない。医者の不養生とかで、五十代半ばで急逝されてしまったよし。

 腰はそれ以来ずっと快調であるが、あの大きな注射は何だったのか、とうとう聞く機会をなくしてしまった。
(2004年7月24日)