母と老人保健施設

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[エッセイ 60](既発表 5年前の作品)
母と老人保健施設

 その話を切り出すや否や、母は激しく拒絶した。手続き中であった母の老人保健施設への入園について、その許可が下りそうなので一度下見に行ってみようと提案したことへの反応である。その施設は、私が3年間通った高校のすぐそばにあったが、高齢者にとっては生活圏から完全にかけ離れた場所である。

 ゴールデンウィークの最中、郷里の実家で生活している母が不整脈で入院した。4月に続いての緊急入院である。今度も短期入院で済みそうだが、もうこれ以上一人で生活してもらうのは難しそうな気がする。

 入院から2週間が経ったころ、担当のケアマネージャーから連絡があった。いつまでも入院させておけないので、近所の特別養護老人ホームショートステイに切り替えるという。ただし2週間が限度なので5月末までには引き取って欲しいとの話であった。私は、5月最後の金曜日に帰省し翌日母を実家に引き取った。

 実家で母と生活を共にしながら、お盆過ぎには米寿を迎える母の老いを実感させられた。目や耳は達者であるが頭の回転が極端に落ち、通常の会話がスムーズに進まなくなっていた。物忘れが激しく一日に何度も探し物をする。一緒に探してあげようとしても何を探しているのかが表現できず、結局お互いにイライラが募るばかりであった。
 
 母のいわゆる要介護度は、5段階のうちの一番軽い「1」である。普段からデイサービスなどでなじみのある近所の特別養護老人ホームならお世話になってもいいといっていたが、そこはかなり重症の「4」または「5」でないと入れない。ショートステイをつないでいくことで、ある程度の期間置いていただくことも不可能ではないが、長期間継続的にお願いしようとすればどうしても例の施設に頼らざるをえない。

 せっかく入園見通しのたった老人保健施設ではあったが、こうまできっぱりと拒絶されてしまうとそれ以上押すことはできない。母を一人置いておけないとすれば、このまま私がそばについている以外にない。新たな道が開けるまで何ヵ月かかるかわからないが、このまま実家での滞在を続けなければならない。

 必死に説得を重ねた。その施設の環境や眺望の素晴らしさ、設備の快適さや介護サービスの充実ぶりなどを並べ立ててみた。病院に併設されているのも安心材料ではないかとも強調してみた。しかし、本人にしてみればしょせん「姥捨て山」でしかない。その「山」の良さをいくら強調しても、あとにはむなしさが残るだけであった。母との無言の葛藤は深夜に及んだ。

 母は最後に折れてくれた。入園3日目、ここは快適だから安心して藤沢に帰りなさいともいってくれた。私は悔悟の念で次の言葉を失った。
(2004年6月13日)