お神輿(おみこし)

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[エッセイ 76](既発表 2年前の作品)
お神輿(おみこし)

 昨秋、札幌のやや郊外に立地する大型ホテルに泊まった。広々としたロビーには本物のお神輿が飾ってあった。その英語の説明には、「ポータブルシュライン」(Portable Shrine)とあった。直訳すれば「携帯用神社」となる。神を崇める気持ちのまったくないその英訳に、私は少なからぬショックを受けた。

 例年、秋になると恒例の市民祭りが行われる。学園祭の延長のようなこうしたお祭りにはいまひとつ興味がわいてこないが、一つだけ楽しみにしているものがある。いうまでもなくお神輿である。

 市内全域から集められた30近い本物のお神輿が大パレードを繰り広げる。JRの駅南口広場で盛り上げた後、さらに北口に回って商店街を賑やかに練り歩く。担ぐあほうに見るあほう。担ぎ手はもちろん見物する側も、お神輿を中心に心躍らせ血を滾らせる。

 お神輿は、私が物心ついたときからあたりまえの存在であった。なぜそのようなものがあるのか、なぜみんなで担いで街を練り歩くのかなどということは考えてもみなかった。

 お神輿とは、お祭りや遷宮のときに神に乗っていただく乗物のことである。神、つまりご神霊はご神体に宿る。そのご神体を乗せる輿がお神輿である。普段、ご神体は神社と呼ばれる建物に厳かに安置されている。

 お祭りとは、収穫などの機会をとらえて神に特別に感謝し、あらためてお祈りをささげる恒例行事である。その機会に、神に民の暮らしぶりを見てもらいがてら、ゆっくりと外の空気でも吸ってもらおうというのがご神幸であろう。神様は賑やかなことや少々荒っぽいことがお好きなようである。

 人々は、お神輿をもみ合うことによって神に喜んでもらい、自分たちはそれによってエネルギーを発散させ陶酔の世界へとのめりこんでいく。見る人もまた、そのエネルギーによって同じ境地へといざなわれていく。

 生命のエネルギーは、燃やせば燃やすほどより新鮮なエネルギーを呼び込んでくる。生命のエネルギーは、放置しておけば淀んでだんだん燃えにくい物質へと変化していく。生命のエネルギーは、燃やされることによって増殖を繰り返す。井戸は汲めば汲むほど新鮮な水が湧き出してくる。使われない井戸は、水が淀みボーフラの養殖場と化す。

 ある人は、深呼吸は肺の空気を思い切り吐き出すことによってより大きな効果が得られると説く。生命のエネルギーはまず使い切る。使い切ることによって強制的に新陳代謝が促がされる。私たちの生命力は、燃えることによっていっそう力強いものへと進化する。

 人は、お神輿を担ぐことで、誰でも生命のエネルギーを燃焼させることができる。もし自分自身でそれを燃やしきる自信がなかったら、お神輿を積極的に担いでみてはどうだろう。
(2004年10月23日)