高(こう)さん

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[エッセイ 72](既発表 2年前の作品)
高(こう)さん

 北京空港での入国手続きが終わったとき、現地時間は午後の2時に近かった。到着ロビーでは、出迎えの現地旅行社の係員が待っていてくれた。彼は日本語も上手、他の客も交えて雑談をしているうちにワゴン車はホテルに着いた。

 チェックインの手続きを済ませ部屋に案内される段になって、その係員が「あなたの顔を知っている」と言い出した。中国に知り合いはいないし、その人の顔にも見覚えはない。何か魂胆があってのことかと思い少し身構えた。

 「実は、以前S社でお世話になったことがあるのです」と、11年前に研修生として7名で来日したときのことを話しはじめた。会社のバッジをつけているわけではないし、空港からの道すがらそれらしきことを口にしたわけでもない。それでも、彼は現実に私の顔を思い出した。

 彼等とは11年前、それも半年の間に2~3回会っただけなのに大した記憶力である。そういえば、高(こう)さんという名前のその青年は一番熱心に日本語を勉強していた。その成果を活かして、数年前に現在の仕事に転職したという。
 
 話の途中で、Mさんはお元気ですか、Nさんは、Hさんは、Oさんは、Kさんはと次々と社員の名前が出てくる。とうとう、決まった予定がなければ今からでも少し案内したいと言い出した。夕食には北京ダックをご馳走したいという。

 高さんの自家用車サンタナは、故宮の真裏にある景山公園に向かった。頂上からは、故宮の全景はもとより北京市街が一望できる。故宮の正面は天安門広場である。そのすぐ脇には国立のお土産屋もあった。掛軸でもと思っていた矢先、「掛軸は私がプレゼントしますから好みの傾向だけ教えてください。ここは観光客相手のため値段が高いので絶対に買わないでください」と念を押された。

 黄昏が迫る頃、夕食には少し早いがと北京ダックの高級店に案内された。北京に行ったらぜひ食べたいと家内にいわれていたのが、いきなり実現することになった。私の方は、夜には京劇を見ようと思っていたところ、それにも連れて行ってもらった。

 よかったら明日もといわれたが、約束があるのでと鄭重にお断りした。帰国のときには面倒を見てもらうこととし、3日後の再会を約した。

 北京最終日、買い物に出かけ約束の30分前に帰ってみると、彼は1時間前から待っていたという。手には、4本もの立派な掛軸があった。1本はMさんへ、あと1本はHさんへ、そしてあとの2本はご自宅にとのことであった。

 この季節、中国の首都は「北京秋天」の言葉どおり見事に晴れわたる。サッカーのアジアカップではサポーターの行為がひんしゅくをかい、次の北京オリンピックが懸念されている。その中国に、人の道をわきまえた、秋天のような清い心をもった人がたくさんいることを広く伝えたい。7年前も、4年後も。
(2004年9月18日)

※日中両国関係は、政治的には冷え切ったままである。新内閣発足を機会に、関係改善に向かうことを期待したい。