彼岸花

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[エッセイ 35](既発表 3年前の作品)
彼岸花

 ちょうど、彼岸から10月の初めごろまで、田や畑の畦道に赤い花が目を引くようになる。「赤い花なら曼珠沙華、オランダ屋敷に雨が降る・・・」子供のころ流行った歌をいやがうえにも思い出す。

 題名はなんといったか、歌った歌手は誰だったか、とんと思い出せないのに一番の歌詞は全部覚えている。毎年、曼珠沙華とも呼ばれる赤い花を見るたびに、この歌詞を思い出して脳に刻み込んできたためらしい。

 少年のころ、縁起の良くない花と聞かされていたので、近くでじっくり観察した記憶はない。咲く時期がお彼岸のころのためか、墓地によく群生しているためか、花の色が毒々しくあまりにも強烈なためか、はたまた鱗茎とよばれる球根に毒を含んでいるためか、いずれにしても親しみを覚える花ではない。

 それでいて、地域によっていろいろな呼び方をされており、全国では千種類以上もの呼び名があるといわれる。しかし、不吉な印象は私の故郷に限らないようで、幽霊花、死人花、捨子花など、どうにも縁起のよくない名前が多い。

 それにしても、彼岸花の出現はあまりに唐突に思える。普段、まったくそれらしいものが見あたらないところに、にょきにょきと茎がまとまって生えてくる。旬日を経ずして花が咲く。細い茎に真っ赤な大輪、葉っぱなどの余分なものは一切ない。花が萎めば茎もしぼみ、後には何も残らない。ぱっと咲いてぱっと散る。その華やかさは桜以上に強烈であり、無に帰る散り際はそれに勝るいさぎよさである。

 彼岸花は、その華やかさのかげでどのような営みをしているのだろう。花がしぼみ、茎が枯れてしまったあとに、今度はいきいきとした葉っぱが伸びてくる。周囲の草が枯れてしまった広々とした空間で、たっぷりと陽光を浴びて冬を越し、光合成でつくられた栄養分をしっかりと地下の鱗茎に溜め込む。春になって、雑草たちが太陽光の奪い合いを始めるころ、自分の葉を枯らして夏の休眠に入る。

 秋雨とともに目を覚ました鱗茎は、水分をたっぷりと含んで爆発のときを待つ。昼と夜の長さが逆になるころ、茎は一気に土を割り天に向かって伸びていく。枯れかけた夏草に替わって、野には今年も深紅の競演がくり広げられる。

 地上の生きものが衰退に向かう晩秋にかけて、一気に命を燃やし強烈に自己を主張するユニークな個性は見事としかいいようがない。他の植物とまったく逆のしたたかな生活スタイルは、合理化された現代生活においても見習うところが多い。

 野辺に広がる燃えるような赤は、画一化、没個性化の時流に投じられた大きな一石と受け止めたい。
(2003年10月18日)