キンモクセイ

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[エッセイ 147](新作)
キンモクセイ

 住宅街を散策していると、どこからともなく甘い香りが漂ってくる。中国では、七里香や九里香などと呼ぶこともあるそうだが、そのほのかな香りは少し離れたところのほうが鼻孔に心地よい。高浜虚子は、その間合いを「木犀の 香にあけたての 障子かな」と、いたって優雅に表現している。

 その木犀(モクセイ)、日本で普通に見かけるのは、橙黄色の花の金木犀キンモクセイ)である。実は、キンモクセイは異種であって、白い花をつける銀木犀(ギンモクセイ)が本流である。モクセイは、モクセイ科の常緑広葉樹で、高さ約4メートルの小高木、葉は長円形で革質である。秋、葉のわきに香りの高い小さな花が集まって咲く。

 モクセイの原産地は中国南部の桂林地方である。日本にやってきたのは江戸時代初期のころらしい。雌雄異株であるが、日本に来たのは雄だけだったという。このため、花が咲いても実は成らない。繁殖は接木に頼るという。

 中国では、モクセイは、幹の色や紋様が動物の犀に似ていることから「木犀」と書いたという。われわれが普段使っている木犀・モクセイはそれをそのまま持ち込んだものである。その中国では、モクセイの異名を「桂」とよび、ギンモクセイを「桂花」キンモクセイを「丹桂」などとも呼ぶそうだ。桂林という地名は、桂がたくさんあるという意味だという。

 ところで、「桂」というと日本では別の木のことを指す。カツラ科の高さ約25メートルにも達する落葉高木のカツラである。モクセイを意味する桂が、なぜ別のカツラになってしまったのだろう。

 日本には、落葉が始まるころ、ほのかな甘い香りを漂わせる大木があった。その灰は抹香にも使ったそうだ。「カツラ」は「香出(かづ)る」に通じることから、この木がそうであろうと「桂」の字を当てはめてしまったらしい。

 漢字が日本に入ってきたのは、モクセイが日本に来る千年以上も前のことである。実物がなく、書物だけの情報から推測しようとすれば、勘違いがあっても不思議なことではあるまい。

 夏の間、3ヵ月あまりも紅を絶やすまいとがんばり通したサルスベリにも、さすがに疲れが見えてきた。冬を守るサザンカにバトンタッチするには間が空きすぎる。そこに静かに登場したのがキンモクセイである。

 木の大きさや姿の良さで虚勢を張るわけではない。葉っぱの色や形で目立とうとするわけでもない。ただ、ある日突然、葉の陰に小さな花をつけ、さわやかな香りで人々を元気づけようとする。キンモクセイは、花言葉の「謙遜」にふさわしいなんとも控え目な存在ではあるまいか。
(2006年9月26日)