中秋の名月

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[エッセイ 74](既発表 2年前の作品)
中秋の名月

 今年は、9月28日がその日に当たった。夕食後東の空を見上げると、透きとおった満月が大きな顔をして鎮座していた。これぞ中秋の名月である。台風一過のその翌々日、立待月はさらに透明度を増して中空の奥行きの深さを際立たせていた。すすきもお団子も用意してはいなかったが、秋の夜長を存分にたんのうできる舞台装置であった。

 月見は中秋の名月にかぎる。中秋とは、陰暦の8月15日のことである。陰暦では、7月から9月までの3ヵ月間を秋としているので、その日がちょうど季節の中間に当たる。月が満ち始める日を、陰暦ではその月の初日としており、15日には満月となる。

 ちなみに、月の美しさに変わりはないが、月齢は1日や2日ずれることがあり、厳密にいうと15日が必ず満月になるとは限らない。これは、地球や月の周回軌道が楕円形のためである。秋は、月の出る時刻、月を見上げる目線の角度、さらには空気の澄み具合など、月を鑑賞するのに最適の季節である。そして、月が最も美しく見えるのは十五夜の満月である。

 美しいお月さまも雲にはお手上げである。それでも、昔の人は辛抱強く待った。十五夜がだめなら十六夜(いざよい)、17日は「立待月」、18日なら「居待月」、19日になったら「臥待月」、そして5日間も過ぎた20日なら「更待月」と風流な名前までつけて顔を出すまで待った。さらには、「片見月」はいけないと、翌月9月13日を「十三夜」とする予備日まで用意した。陰暦8月9月の両方の月をたんのうできて、はじめて月の風流に通じたといえるそうだ。

 月見の習慣は、奈良から平安時代にかけて中国から伝えられてきたようだ。中国では、農村の収穫祭の様相が色濃く、里芋など秋の恵みをお供えしていたらしい。日本に伝えられた当初は、貴族の一種の酒宴であったようだ。観月の宴などと称し、月を見ながら即興で歌を作りそれをみんなで評しあったという。それが、江戸時代に入ると庶民の間に一気に広まっていったようだ。

 月といえば、餅をついているうさぎの姿が目に浮かび、かぐや姫のあのお伽話が想いおこされる。ある人は、月が青いから遠回りして帰るといい、またある人は、月が顔を出すまで何日でも待ちつづけるという。日本人の自然観は、花鳥風月に凝縮され風流へと通じる。忙しいが口癖のサラリーマンには、風流こそ癒しであり妙薬である。

 風流は、身構えるものではない。もちろんお金などかける必要もない。自然体こそ風流の奥義であり、無の境地で自然に接することこそ風流である。月は誰にも公平であり、どこからでも眺めることができる。もちろん余計な手間やお金など一切かからない。自然を愛する心さえあれば、私たちはいつでも豊かな心を取り戻すことができる。
(2004年10月2日)