不整脈

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[エッセイ 148](新作)
不整脈

 ある朝、起きようとしたら、ミゾオチのあたりがヒクついて気分も優れなかった。何気なく脈を診たら、ひどく乱れていた。びっくりして、近所の内科医院に助けを求めた。私がまだ30歳代前半のころのことである。

 その前日、所用で取引先に出向いた。夕方そこを退出したが、会社に帰るには中途半端な時間であった。上司にはまっすぐ帰ると電話し、近くの駅に向かった。しかし、外は明るく夕食までには相当の間があった。

 ちょっと時間をつぶしていくかと思い、途中のパチンコ店に入った。その日はついているように思えた。玉はどんどん貯まっていった。ぼつぼつ切り上げようかと思っていた矢先、玉は少しずつ減りはじめた。

 玉の量は一進一退を繰り返し、切り上げるチャンスを見出せないまま時間だけが無駄に流れていった。さすがに疲れた。気がついてみると、夕食の時間はとっくに過ぎ、閉店間際になっていた。その夜は、玉がぐるぐる回る夢にうなされ、さらに疲れをためこんでしまったようである。

 心電図を見ながら、この脈はめちゃくちゃじゃあないですか。期外収縮、心房細動、それになんとかかんとか。その内科医は3つの病名を挙げてあきれたようにつぶやいた。

 それから長いながい歳月が流れたが、脈は規則正しく打ちつづけていた。どうやら、あの不整脈は、心身の極度の疲労による一過性のものであったようだ。

 不整脈は、大別すると、脈が途切れたりする期外収縮、脈が遅くなる徐脈、そして脈が速くなる頻脈がある。徐脈や頻脈は大事にいたることもあるので、本格的な検査と治療が必要なようである。とくに、私があのとき経験した心房細動は、頻脈の一つであるがきわめて危険なものなのだそうだ。

 2度目に不整脈が現れたのは夜間であった。あのときから20年以上が経ち、住まいも現在のところに移っていた。久しぶりのことなのでビックリし、タクシーで市内の救急病院に駆け込んだ。見立ては、単なる期外収縮なので心配は要らないということであった。

 たしかに、期外収縮は心臓のシャックリのようなもので、健康はもとより寿命にもまった影響がないという。ただ、そのとき漏らした医師の一言がひどく気になった。血液の塊が、脳の血管の狭いところを通過中に脈が途切れたら、そこで滞留して重大な結果を招くことがあるかもしれないというのである。

 ここ数年、秋になったらきまって現れるシャックリのために、ご近所のお医者さんとは縁が切れない。一病息災という言葉もある。ソバのように、これからも細く長くお付き合いしていきたい。
(2006年10月3日)