春の江の島

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[エッセイ 235](新作)
春の江の島

 台風のような春の嵐が去った翌日の日曜日は、春本番を思わせる穏やかな休日となった。散歩に出かけるにしても、たまには変わったところに足を向けてみたい。そう思っていたら、江の島で春まつりがあるのを思い出した。

 前日の大荒れが嘘のように穏やかになった春の海が目の前に広がっていた。いやがうえにも、宮城道雄(1894~1956)の筝曲「春の海」を思い起こす。この曲は、1929年に福山市鞆の浦をイメージして作られたものだそうだが、この日の相模湾も瀬戸内海に劣らぬ穏やかな表情をしていた。

 江の島弁天橋から眺める相模湾越しの富士山もまた見事であった。ここからの富士は、夕焼けに浮かぶシルエットが見事だといわれるが、朝日に輝くその雄姿も人々に勇気と感動を与えずにはおかない。

 急な石段を登りつめると、江島神社の一番手前の社・辺津宮が目の前に現れる。例年1月、七福神巡りでお参りする弁財天はそのすぐ左隣りにある。あの時も、アレッと思ったが、今回はさらにその思いを強くした。6月末日と大晦日に、大祓(おおはらえ)のために用意される茅の輪が据え付けられたままになっているのだ。網で巻いてあるが、かなり古くなった様子が見て取れる。

 ちょうど売店の前で、年配の宮司が巫女姿の女の子と談笑していた。まだ参拝客もまばらな時間帯だったので、そのあたりのことを聞いてみた。「この茅の輪は大祓のときだけのものではないのですか?」。

 宮司は、「みなさんのご希望が多いので、いつでも潜れるようにそのまま置いてあるのです。大山の阿夫利神社なんかもそうしていますよ。冬は茅も枯れて刈り取ることもできませんしね・・」。どうやら大晦日のときは、半年前に据えられた茅の輪をそのまま使っているようだ。そして、それがいまも?

 その上の、中津宮灯台のそびえるサムエル・コッキング苑の前を抜けて、一番奥の奥津宮までたどりついた。これから先、海岸に下りていくと岩屋の洞窟まではすぐである。しかし、そこまで下りれば、また海抜60メートルの頂上まで上がってこなければならない。

 島の入口へ向けて引き返す道すがら、すれ違う人の数がだんだん多くなってきた。メインストリートにあたる仲見世通りでは、押し寄せる人の波にいいように翻弄された。それでも、せっかくお祭りに来たのだからと、大道芸人と太鼓ライブのパフォーマンス、それにミニSLの運行だけは見物してきた。

 本当は、「白波五人男の仮装行列」と「稚児行列」を見たかったがやむなく断念した。それに合わせるためには、一日がかりになってしまうのだ。それでも、歩行時間だけでも2時間に及ぶ大散歩を体験することができた。
(2009年3月16日)