花火大会(エッセイ)

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[エッセイ 25](既発表 3年前の作品)
花火大会

 その日は、朝からなんとなく落ち着かなかった。家内は、夕方のお天気を気にしながら、夕食の準備はどうしたものかと問いかけてきた。

 先日、家内と江ノ島の花火大会を見に行った。子供が小さいころ一度行ったことがあるので、およそ30年ぶりということになる。雨が降り出しそうな空模様ではあったが、市役所のホームページは予定どおりの開催を告げていた。花火大会は、そんな心配をよそに7時半に始まった。
 
 花火大会ではいろいろなサイズの玉が打ち上げられる。また、上空で開いた時の花のパターンも多様な構成になっている。案内パンフレットによると、一番小さい玉は直径が12センチ、それでも花の高度は160メートルに達しその直径は120メートルにもなるという。
 
 この日のハイライトは、二尺玉つまり玉の直径が60センチもある大きなものである。花の高度は500メートルに達し、その直径は480メートルにもおよぶそうだ。今回は、それが2発用意されている。最初の1発は大会の半ばころ、後の1発は大会のフィナーレを飾るものであった。

 最初の二尺球はプログラムの前半が終わる8時に打ち上げられた。集まった大勢の観衆は固唾を飲んで見守った。打ち上げられた高さといい、花の広がり具合といい、そして音と花の模様といい、どれをとっても飛びぬけて豪勢であった。まるで、闇夜に大輪の花が咲いたかのようである。

 花火大会は雨の中で粛々と続けられた。雨は徐々に激しくなってきた。衣服が濡れ、寒さも加わってきた。低く垂れ込めた雨雲は、少しずつわれわれの視界をさえぎりはじめた。しかし主催者側は予定どおり5000発を上げるつもりらしい。観客も動こうとはしなかった。
 
 日本では、花火大会は夏の風物詩として欠かすことができない。私は、両国の花火大会の壮観な様子を、毎年テレビを通して見てきた。しかし、テレビでは現場の迫力はけっして味わえない。花火職人の、命がけの心意気など伝わってくるはずもなかった。

 花火は、熱気の充満した現場で、五感で体験してこそ花火である。冷房のきいた部屋に寝転がり、片肘ついて見る花火は、花火のようなものではあっても花火ではない。
 
 8時20分、2発目の二尺玉がファイナルショットとしてついに打ち上げられた。大きな玉は轟音をとどろかせながら雲の中に消えていった。ちょっと間をおいた次の瞬間、雲が稲妻に照らされたように明るく輝きつづいて雷が落ちたようなすさまじい音が鳴り響いた。

 大輪の花は、厚い雲の中で運よく開くことができたのだろうか。
(2003年7月27日)

[写真は、大輪の花--花火を撮影したものを掲載しようとしましたが重過ぎてできませんでした
     近所で撮影したひまわりを代役に立てました]