ニューヨーク・普通の生活の日記⑨(6/1)「マイアミ・ビーチ」

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[エッセイ 129](新作)
ニューヨーク・普通の生活の日記⑨(6/1)「マイアミ・ビーチ」

 ニューヨークから南へ3時間弱、眼下に細長い島が見えてきた。本土に寄り沿うように南北に横たわるその島は、狭い所で幅は数百メートル、しかし長さは何十キロにもおよんでいる。

 島には高層ホテルが建ち並び、大西洋側には白い砂浜が延々と続いている。本土との間には何本もの橋がかけられ、海というより大きな河としかみえない。島はマイアミ・ビーチ(Miami Beach)市、本土側はマイアミ(Miami)市、そして両者を隔てているのがビスケーン(Biscayne)湾である。湾というからには、この島は半島なのかもしれない。

 1959年、私の住む藤沢市は、このマイアミ・ビーチ市と都市提携を結んだ。市内の江ノ島・片瀬海岸が「東洋のマイアミ・ビーチ」と呼ばれていた縁である。ラテン音楽が一声を風靡し、日本中がまだ見ぬこの高級リゾート地にあこがれた時代であった。

 私自身、機会があれば一度は訪れてみたいと思っていた。息子の家族がまだ寝静まっている早朝、私たち夫婦はそっとマンションを抜け出し空港へと向かった。目指す先は1700キロ南の亜熱帯地方、すっかり真夏の格好に切り替えての旅立ちである。

 日本で予約しておいた私たちのホテルは、マイアミ・ビーチのど真ん中にあった。さっそく水着に着替えてといきたいところだが、その用意はしてこなかった。出発前にスーパーを覗いてはみたが、何十年も水に入ったことのない自信のなさがパンツの購入を手控えさせてしまった。

 ホテルの前は真っ白な砂浜、その先には南国特有のブルーの海がはてしなく広がっている。島影はどこにも見えない。彼方の水平線がわずかに湾曲して見える。地球が丸いことの証明なのか、あるいは単なる錯覚であろうか。

 ホテルとビーチの間には、ビーチフロント・ボードウォーク(Beachfront Boardwalk)という木道が何キロにもわたって整備されていた。夕方、水着姿ではないウォーカーたちが何人も通りすぎていく。急ぎ足もいればジョギングの人もいる。むろん、ゆっくりと散歩を楽しむ人も少なくない。

 夕食の時間が近づいたので、レストランを探しに街へ出た。ところが、それ専門の店は見あたらず、代わりに気のきいた小型スーパーを見つけた。大型コンビニに、薬局を併設したようなお店であった。水のほか朝食まで買い揃えたが、この薬局併設というのがスーパーのもう一つのポイントのようである。

 それにしても、ここでは水に親しむだけが能ではなかろう。あこがれの地で、ゆっくりとした時間を送ることこそ最高の贅沢ではないだろうか。

[写真、上はマイアミのビーチ
    下はビーチフロント・ボードウォーク]