ニューヨーク・普通の生活の日記②(5/25)「マンハッタン」

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[エッセイ 122]
ニューヨーク・普通の生活の日記②(5/25)「マンハッタン」

 孫娘2人が通うナーサリースクール(託児所:Nursery School)は、自宅から車で5分くらいの小さな教会に併設されていた。上の子は週5日、下の子は週3日、それぞれ午前中2時間お世話になっていた。

 この日、上の子にくっついて園での様子を参観させてもらうことにした。園長先生や担任の先生は、その希望をこころよく受け入れてくれた。クラスは10名ほど、黒髪の子供はわが孫娘1人であった。人種や言葉の壁など最初から存在しなかったように、はつらつと英語で仲良く遊んでいた。

 普通の生活をしたてみたいとはいっても、ニューヨークに着いたらやはりマンハッタンには足をはこびたい。10時半頃にはタカホの駅で回数券を買い、グランドセントラル駅へと向かった。この区間の運賃は、通常片道7、5ドルであるが、63歳以上のシニアはオフタイムにかぎりその半額となる。2人で5往復以上を予定しており、ありがたいことに1万円くらい助かる計算になる。

 記憶をたどりながら、ロックフェラーセンター(Rockefeller Center)からタイムズスクエア(Times Square)へと徒歩で廻った。ブロードウェイ(Broadway)沿いのハンバーガー店で空腹を満たし、地下鉄で世界貿易センターWTC)の跡地へと向かった。ここは、同時テロの2ヵ月半前に訪れ、その建物の壮大さと眺望のよさに感嘆の声をあげた場所である。

 いまは、犠牲になった人たちの慰霊碑もどこかへ片付けられ、再建の槌音が騒々しく響き渡っていた。あの時2回も立ち寄った真向かいの安売りデパート(Century 21)は、当時を上まわる賑わいを見せていた。昼食に立ち寄った南隣のピザ店も、何ごともなかったかのように振舞っていた。おそらく、両店とも壊滅的な被害を受け、多くの犠牲者を出していたはずなのに、である。あらためて、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りしたい。

 5年前の訪問では、すぐ近くのウォール街(Wall Street)に足を向けるチャンスがなかった。さっそくあたりを散策してみると、ニューヨーク証券取引所のビルの前面にMaster Cardの巨大な広告幕が垂れ下げられていた。帰宅後、不審に思って息子に聞いてみたら、この日同社がはじめて同証券取引所に上場された記念なのだそうだ。

 あのとき、5番街(5th Avenue)のブランド店は何軒も見て廻ったが、デパートは一軒も覗かなかった。メイシーズ(Macy’s)なら地下鉄ですぐなので、帰宅の途中立ち寄ることにした。その売り場は、評判どおり巨大であった。しかしその一方、グレードのお粗末さには少々あきれてしまった。

 マンハッタンの散策は、今日はこれくらいにしておこう。

[写真、上はナーサリースクールの様子、
    下はマスターカードの広告幕が垂れ下げられているニューヨーク証券取引所]