新緑と落ち葉

[エッセイ 120](新作)
新緑と落ち葉

 新緑の季節は落ち葉のシーズンでもある。この季節、住宅街の落ち葉は秋の枯れ葉よりはるかに多い。一般の家庭では、年間を通して緑を維持できるよう、常緑樹が数多く植えられているためである。

 家の周りに散らかっている落ち葉は、掃いても掃いてもまたどこからともなく集まってくる。かき集められたかたまりは、量もさることながら重さも秋の2倍から3倍にのぼる。秋の落ち葉はからからに枯れているが、初夏の落ち葉は肉厚のものが多く、しかも半生の状態で落ちてくるためである。

 秋は、物悲しさも手伝って、枯れ葉はロマンチックな役割を担うことも多い。しかし、萌えるような新緑に主役の座を奪われた初夏の落ち葉たちは、単に邪魔者扱いされるのが関の山である。土に返してやれば、有機肥料としてもう一花咲かせることができるだけにいっそう可愛想である。

 この常緑樹たち、約1ヵ月をかけて葉っぱの新旧交代をおこなう。その準備は、前年の新緑が生え揃ったときからすでに始まっていたはずである。なるべく目立たないよう、樹木の生長に支障がないよう、営みは静かにすすめられていく。その様は、終電から始発までのわずかな時間をぬって、線路の補修やレールの交換を行う鉄道会社のやり方に似ていなくもない。

 この10日あまり、3月決算の上場企業が、6月の株主総会にむけて決算と主要人事を発表している。順当なものもあれば、サプライズもある。おそらく、長い時間をかけて、周到に準備された交代劇のはずである。

 世代交代は、タイミングがきわめて重要である。後継者が育ちきれない段階での交代は、無理な背伸びをさせて潰しかねないばかりか内部の混乱をも招きかねない。遅すぎる交代は、有望な人材の芽を摘んでしまうことになるかもしれないし、沈滞と腐敗の原因になるかもしれない。

 指導者の最大の任務は、後継者を育てることである。磨けば光りそうな人材を掘り起こし、それぞれの特性を見極めながら磨きをかけていく。途中でふるいにかけ、絞り込みながらさらに磨きをかける。そんな過程が繰り返されるうちに、おのずから後継者にふさわしい逸材が浮かび上がってくる。

 世代交代は組織に限ったことではない。親から子へ、子から孫へと、家族単位でも営々と繰り返されていく。もしそれがうまくいかなかったら、組織は衰退し家族は崩壊してしまう。後継をどう見つけ、育て、うまく繋いでいくか、誰もが経験しなければならない人生最大の課題である。

 世代交代の大切な役割がうまく果たせないようなことがあっても、せめて濡れ落ち葉にだけはならないよう気をつけたいものである。
(2006年5月23日)

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