愛知万博

[エッセイ 96](既発表 1年前の作品)
愛知万博

 4月下旬のある一日、愛知万博を楽しんだ。万博は、1970年の「大阪」以来実に35年ぶりである。生きているうちにもう二度と万博にお目にかかることはないだろうと、多少の悲壮感も伴いながら出かけていった。

 入場前に、ガイドからアドバイスを受けた。北口ゲートを入ったら、まず入口近くにある人気の高い企業パビリオンを予約しておく。実際の入館は何時間も後になるので、予約が取れしだいゴンドラに乗って一番奥まで直行する。そこから、気に入った外国パビリオンを見学しながら予約時間に間に合うように引き返してくる。これが一番のおすすめコースだそうだ。

 さっそく、ロボットが人気のトヨタ館に出向いた。ところがその前には、整理券をもらうための長い行列ができていた。整理券の配布は1時間半後、その券に記載された入館時間はそれからさらに1時間半後であった。仕方なく、企業パビリオンの見学はすべてあきらめ、片道600円というゴンドラに乗った。

 一番奥のヨーロッパゾーンでは、イギリス館を皮切りに四館を通り抜けるように見て回った。本場のビールで一息入れ、さらにイタリアなど地中海からアフリカにかけての国々のパビリオンをつぎつぎとまわった。終盤近く、足はおのずとセンターゾーンに向かい、自然がテーマの日本館と冷凍マンモスが売り物のグローバルハウスで新たな感動を味わうことができた。

 愛・地球博のテーマは、「自然の叡智」とうたわれている。環境保護と、その環境を活かすことが主題であろう。たしかに、どこを覗いて見てもそのような表現にはなっているが、具体的な形はほとんど見えてこない。なかには、物産展と勘違いしているのではないかと思われるパビリオンも散見された。

 いま時間を置いて考えてみても、印象に残る目玉はロボットとスーパーハイビジョンテレビくらいしかない。冷凍マンモスを連れてきたのは、パンチ不足を予測してのことであろうが、これとてテーマとの整合性が見出せないままさらしものにされているのが実態である。

 これでは、日本政府主催、124ヵ国お義理協賛の臨時テーマパークとしかいいようがない。それでいて、エンターテイメントに徹しきれない分、本来のテーマパークに比べ迫力不足は否めようがない。

 メイン会場となった「長久手」は、秀吉と家康の合戦の場として歴史にその名をとどめている。また瀬戸会場は、「海上(かいしょ)の森」で知られる豊かな自然の残る森林地帯の一部でもあった。そこらがいま、きれいに造成され、周辺には道路網と鉄道まで敷設されている。

 開催しないのが一番の環境対策だったなどといわれないことを。そして、この大規模な開発行為が、地球に刻まれた大きな傷跡とならないことを願ってやまない。
(2005年5月3日)