菜の花

[エッセイ 116] (新作)
菜の花

 川の土手では、いま菜の花が満開である。待ちわびた春の到来を実感させるあの萌えるような黄色が一面に広がっている。顔を近づけてみると、むせ返るような温気のなかを、蜂たちが気ぜわしく蜜を集めていた。そういえば、蜂蜜業者は、春になると菜の花を追って北上していくという。
 
 近所のスーパーを覗いてみたら、花芽の小さな束が、たらのめ、ふきのとうなどとともに春の野菜として並べてあった。別売りで、「辛し和えの素」が添えられていたのが心憎い。これらの新芽に共通するのがあの苦み、一口含んだだけで新しいエネルギーが満ちあふれてくる。
 
 菜の花は、「花菜」「菜種」などと呼ばれることもあるが、「油菜(あぶらな)」が正式な名称である。その名前が示すとおり、種からは良質の油がたくさんとれる。なんと、種の40パーセントが油だそうだ。灯火に、食用に、そして潤滑油にと幅広く利用されている。

 花が終わると、下のほうから順々に細長い鞘に変わってくる。その中には、直径1ミリほどの無数の種が宿っている。やがてそれがじゅうぶんに実り、茎が枯れはじめるころ、褐色の成熟した種となって周囲にはじかれる。私たちは、その直前の種を収穫して食や住に役立てる。

 子供のころ、菜種油はまだ灯火に利用されていた。当時、電灯は一軒に一灯が普通であった。そのころの家屋は、湿気や臭気の関係で、風呂や便所は別棟になっていた。夜間それらの場所を利用しようとすれば、当然電灯以外のあかりが必要となる。菜種油のカンテラは、携帯用灯火として生活の中に幅広く溶け込んでいた。

 菜の花の栽培とその種からの採油は、鎌倉時代あたりから始まったようだ。その技術は、江戸時代に入って急速に広まっていった。菜の花は比較的栽培しやすく、油の需要はいくらでもあった。貴重な収入源として、各農家が競って栽培したことはいうまでもない。おまけに、油の絞り粕は肥料としてリサイクルされた。私の子供のころも、油粕は貴重な有機肥料であった。

 菜の花の花言葉は、豊かさと財産だそうだ。桃の節句の添え物としてはいささか生々しさを感じさせるが、娘の幸せを願う親心と考えればうなずけなくもない。「菜の花や、月は東に日は西に」、「♪菜の花畠に、入日薄れ・・♪」。蕪村や小学唱歌で指摘されるまでもなく、菜の花は、なぜかおぼろ月や春霞といったつかみ所のないものを連想させる。

 搾られ、利用しつくされて、なお人のためにあかりを灯しつづける。そんな菜の花のような奇特な人は、いまは小説でしかお目にかかれないのだろうか。
(2006年3月22日)