春分の日

[エッセイ 13](既発表 3年前の作品)
春分の日

 3月21日は春分の日である。この日の昼間の時間は、夜の長さとほぼ同じである。昔から、暑さ寒さも彼岸までという言い伝えがある。日本の大部分の地域では、冬の寒さは春分の日のころまでには終わりを告げ、夏の暑さは秋分の日あたりまでには一段落する。このころになると、「暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったものですね」などと多くの人たちが実感を込めて挨拶を交わす。私たちも、毎年そう感じる。
 
 彼岸は、仏教徒である大部分の日本人にとってきわめて重要な日である。春分の日あるいは秋分の日を挟んだ前後一週間は彼岸と呼ばれ、その中日(なかび)は彼岸の中日(ちゅうにち)と呼ばれている。一般の仏教徒たちは、先祖代々の霊にお祈りをささげるべく彼岸にお墓参りをする。
 
 春分の日のころは、野外の行楽にもっとも適したシーズンでもある。鳥は飛び交いさえずりあう。花は野山一面に咲き競う。ぽかぽかとした日の続く、一年でもっとも快適な気候である。おまけに春分の日は休日に当たる。人々の心はいやがうえにも浮かれ高揚してくる。
 
 若い世代は宗教にだんだん無関心になってきた。古くからの慣習はだんだん廃れていった。若い人はもとより中高年の世代までが、伝統的な慣習よりも自分自身をエンジョイすることに関心を向けるようになってきた。幸か不幸か、そのようなニーズに対応できる施設は整い、それを楽しむソフトも身についてきた。経済的にも余裕が生まれ、健康志向がそれに拍車をかけている。若い人たちは、いや国民の相当部分の人たちが、ご先祖さまたちの霊にお参りするよりも春を満喫するほうに傾いている。
 
 多くの人たちは、休日になると自分をエンジョイするために、家族ともども郊外に向けて出かけていく。一方、多くの墓地はその郊外に立地している。その結果、墓参りに出かける人と遊びに行く人たちで郊外の交通渋滞はますます激しくなる。例えば鎌倉周辺にはたくさんの大型共同墓地があるが、この時期その周辺では墓参客と観光客でごった返すことになる。

 私は、宗教にはいたって無関心である。しかし、私たちの考え方や行動様式ひいては日本のアイデンティティそのものが、その根幹の多くの部分を宗教に依存していることは間違いなかろう。将来の日本がどのように変化しようとも、それは過去からの延長線上においてのみ存在し得るということもまた否定しようがない。

 日本の伝統を理解することが将来のよりよい発展に繋がるのであれば、そのもとになっている神道や仏教への理解もいっそう深めていく必要があろう。この機会に、彼岸の意味をもう一度噛みしめてみたい。
(2003年3月21日)