―ピンピンコロリを究めよう―       [その5] 自身の体験を活かしたい


[エッセー 659] ―ピンピンコロリを究めよう―[その5]

自身の体験を活かしたい

 

 いままで、人の寿命について4回にわたって考えてきた。どうしたら、人の寿命を限界まで延ばすことができるのか。それも、不健康期間を極力抑え、健康寿命を大きく伸ばすことによって寿命全体を延ばしていこうというものである。

 

 観念論はひとまず棚に上げ、自分自身の体験を俎上に乗せてみることにする。病院に入院したことがない、救急車にも乗ったことがないまま80代半ばまで大過なく過ごせた経験は、それなりに価値があるのではないかと考えたからだ。もちろん、恥ずかしいことばかりで、自慢するようなことはなに一つないということだけはあらかじめお断りしておきたい。

 

 比較的健康に過ごせた大きな理由の一つは、”健康を貫くことを習慣化”できたということである。小さいころには、いろいろな病気をひととおり経験してきた。小学校に上がってからも、微熱や頭痛に悩まされたこともしばしばあった。しかし、学校を休みたいというと、母に叱られ必ずたたき出された。

 

 そんなことが重なると、いつの間にか欲が出て、少々のことではへこたらなくなっていった。今考えれば少し乱暴なようだが、戦時中の風潮を引きずる当時としては、むしろ当然のことだったかもしれない。なんと、中学校卒業のときには9カ年間無遅刻・無欠席で皆勤賞までいただいた。その習慣は、結局60歳代後半の現役完全リタイアまで続いた。

 

 会社に入ってからも、その“まじめ”な生き方は、1~2度のインフルエンザ大流行期を除き、ほぼ完全に貫くことができた。ただ、学生時代と違って、長時間の残業や深夜に及ぶお付き合いは避けて通ることができなかった。残業のない日は、必ずマージャンのお誘いがあった。

 

 しかし、あるときから、マージャンを始めて30分くらいが経つと、決まって脇腹が痛くなるようになった。それでも、出前のカツ丼をかき込むと、それは一時的には治まった。ある日、たまりかねて会社近くの内科に駆け込んだ。診断結果は、初期の十二指腸潰瘍だった。不規則な生活と神経の使いすぎが原因だといわれた。治療は、薬を飲み続けることで完治できるということだった。

 

 そんなことから、会社では退社時間後だれも誘ってくれなくなった。結婚後はそれでずいぶん救われたが、独身後期は相当寂しい思いもすることになった。潰瘍は5年くらいで完治したが、周囲の新婚家庭への気遣いもプラスに働いて、私のまわりには早い時間に帰宅させてもらえる雰囲気が出来上がった。私の“健康を気遣ってもらえる雰囲気と習慣”が完全に定着していったわけである。

 

 かくして、”健康を貫くことの習慣化” と“健康を気遣ってもらえる雰囲気づくり”が整った。次号では、自分自身の工夫と努力について触れていきたい。

                      (2023年6月16日 藤原吉弘)