ピンピンコロリを究めようー[その3]   ピンピンコロリは遠くなるばかり

[エッセイ 657] ―ピンピンコロリを究めよう―[その3]

ピンピンコロリは遠くなるばかり

 

 人の寿命は、文明の進化とともに大きく伸びてきた。しかし、健康寿命の伸びはそれに追いつけず、むしろ置いていかれているとさえいえる。その結果、不健康期間はさらに伸び、ピンピンコロリは遠くなるばかりである。

 

 そもそも、私たちにはなんで寿命があるのだろう。どうやら私たちが生きものだからということらしい。その生きものは、40億年前にこの地球上に誕生した。それが進化を繰り返し、枝分かれしながら現在のような生態系を作り上げてきた。その進化には“寿命”が大きく関わっている。

 

 生きものは、世代交代を繰り返しながら少しずつ違う特徴を獲得してきた。その過程で、少しバージョンアップした個体が生まれ、その中から環境に適したものが生き残ってきた。その過程を進化という。進化の最先端をいく人間もいまだその過程にあり、生と死を繰り返しながらさらなる高みを目指している。

 

 生きものが進化を推し進めるには、新たな世代を作り出していくための繁殖活動が欠かせない。そのため、大人になると、自からの成長を止めて繁殖にエネルギーを注ぎこむ。それと引き替えに、体内の傷んだ細胞の修復作業はおろそかになり、老化が加速していくことになる。生きものは、繁殖活動の過程において、事故でケガをしたり病に倒れたりすることもある。

 

 これら生きものの頂点に立つ人間は、定められた寿命を少しでも延ばそうと努力を重ねた。寿命を縮める原因には知恵と勇気で立ち向かい、医療という延命手段を手にすることができた。さらには、生存は無理と思われていた病も、治るのが当たり前というレベルまで進化をさせてきた。しかし、完全にもとの健康体に戻すことはできず、介護を必要とする人を増やすことにも繋がっている。

 

 一方、予期せぬ病気やケガを未然に防ごうとする予防の医学も急速に進歩してきた。ワクチンなど、予防のための医薬品の開発も急ピッチに進んでいる。さらには、健康そのものを我が物とする健康増進策も進歩を重ねてきた。ジムなどの施設や健康法などのソフト面も急速に充実してきている。

 

 ただ、こうした健康増進策は、医療の進歩に比べ期待されたほどの進展はみられていない。利用者も限られている。文明の発展は、生活を便利にする一方、人間をひ弱にさえしてきている。自助努力が前提となる体力増強はどこかへ置き忘れ、むしろ劣化へと向かっているようにさえ見える。

 

 こうした流れは、寿命の飛躍的な伸長の裏で不健康期間をも大きく延ばす結果となった。どうすれば、寿命を延ばしつつ健康寿命を大きく延ばしていけるのか。どうしたら、医療の発展を健康増進策に直結させ、不健康期間を大きく縮めることができるのか。このままでは、ピンピンコロリは遠くなるばかりである。

                      (2023年4月28日 藤原吉弘)