ピンピンコロリを究めようー[その2]    ピンピンを通すことの難しさ

 

 

[エッセイ 656] ―ピンピンコロリを究めよう―[その2]

ピンピンを通すことの難しさ

 

 ピンピンでない人、つまり健康上の理由で日常生活が制限されており、支援や介護の必要な高齢者は全国で690万人近くいるそうだ。内訳を見ると、軽度な方から要支援1の人が97万4千人、要支援2の人は95万2千人、要介護は、1が142万9千人、2が116万2千人、3が91万8千人、4が87万4千人、最重度の5が58万6千人となっている。日本の総人口1億2,449万人に対しては5.5%、65歳以上の高齢者3,627万人に対しては19.0%ということになる。

 

 支援や介護の状況はどうなっているだろう。しかし、個々の状況は一人ひとり異なり、またそれらについて触れていくと、プライバシーの問題にも関わってくる。そこで、ここはわが両親のケースについて概略紹介してみることにする。

 

 小規模な建設業を営んでいた父は、元々体があまり丈夫ではなかった。とくに足腰が弱く、60歳代後半になると歩くのにも苦労していたようだ。そして、70歳を過ぎたころからは働けなくなり、74歳半ばにはとうとう寝たきりになってしまった。近くには介護施設もあったが、本人は世間体を気にしてそこを嫌い、78歳の最後まで自宅で療養するようになった。

 

 父は食事から下の世話まで、全面的に母を頼りにするようになった。それでも、5歳若い母はまだ元気で、最後までよく面倒を見た。しかし、その間の苦労は並大抵ではなかったはずだ。このように、自宅での介護、とくに高齢の女性が動けなくなった夫を一人で面倒を見るには想像を絶する苦労が伴うはずである。

 

 一人住まいとなったその母は、自宅で元気に生き抜いていた。それでも、たまに帰省してみると、徐々に衰えていくのが手に取るようにわかった。88歳も後半に差しかかったある日、少々強引に施設に入所してもらうことにした。介護老人保健施設という、まだ社会復帰の可能な高齢者を対象にした施設である。海の見える一人部屋が確保できたので、それをもって入所を納得してもらった。

 

 入所1年半が過ぎようとしたころ、施設から連絡が入った。痴呆がだいぶ進行してきたので、4人部屋に移ってもらい納得のいく介護をさせてもらいますということだった。そして、2年少々が経ったころ、この施設では限界があるので、特別養護老人ホームに移ってもらいますといってきた。

 

 実家の近くにあるその施設では、途中から息子の顔もわからなくなるほど痴呆も進んだ。そして、4年半が過ぎたお正月明けのある寒い朝、とうとう94年の生涯を閉じることになった。ご近所の人は、その母を大往生だったといってくれたが、そんな立派な言葉では飾りきれない大変な後半生だった。

 

 このように、ピンピンを通すことの難しさを思い知らされてきたわけだが、どうしたらそれを通しきることができるか、じっくりと考えてみることにした。

                      (2023年4月25日 藤原吉弘)