古希の祝い

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[風を感じ、ときを想う日記](245)2/9
古希の祝い

 昨日、子供や孫たちで古希のお祝いをしてくれた。「古希」とは七十歳の長寿を祝う行事であるが、いまの高齢化社会では気づかないまま通過してもちっともおかしくないごくありふれた節目である。それを忘れないでわざわざお祝いしてくれるのだから、身内ながらありがたいことである。

 古希とは、もとは中国の詩聖・杜甫(とほ・712~770)の「曲江二首」と題する詩の第二首にでてくる言葉である。昨年、中学校の同級生で古希の集いを催したが、それをまとめた小文ではこの詩を次のように紹介している。

 朝回日日典春衣 毎日江頭尽酔帰 酒債尋常行処有 人生七十古来希(以下略)。朝廷での仕事を終えて退出するたびに、春服を質に入れ、毎日のようにその金で曲江のほとりで酒に酔いしれては家に帰る。酒代の借金も当り前のことになり、あちこちにたまっている。しかし、人の寿命には限りがあって、古来、七十まで長生きするものはめずらしいのだ。(訳引用・故事成語で見る中国史
 
 七十歳くらいで長寿といわれてもピンとこないし、本人にも全くその実感はない。しかし、他からみればやはり高齢者に見えるのかもしれない。現に、昨夜のそのお祝いの帰り、電車に乗ったとたん若い人から席を譲られた。一瞬躊躇したが、ありがたくお受けすることにした。
 
 やはり、古希にふさわしい自覚と行動が必要なのかもしれない。