建国記念の日

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[エッセイ 232](新作)
建国記念の日

 夜のテレビニュースをみると、賛成派と反対派がそれぞれに集会を開いて気勢をあげていた。2月11日の建国記念の日は、その是非を巡って両派が対立したままである。この祝日を国民みんなでお祝いするというレベルからは、依然大きくかけ離れたままである。

 建国記念の日は、国民の確たる合意のないまま、明治に制定された「紀元節」を復活させる形になった。両派対立の根源は、紀元節にまつわる帝国主義軍国主義の影を清算しないまま再スタートしたことにあるようだ。

 日本書紀によると、日本が国家として成立したのは日本の初代天皇である神武天皇のころだそうだ。その神武天皇が即位されたのが紀元前660年2月11日だったという。明治新政府は、1872年(明治5年)、これを根拠に日本の建国記念日を2月11日と定め、「紀元節」と呼ぶことにした。日本独自の年号「皇紀」も、神武天皇の即位された年が元年になっている。

 建国記念日は、あった方がいいのか、なくてもよかったのか。この世にあるすべてのものには必ず起源がある。いま見えているものは、その延長線上におかれた発展途上の姿である。その原点を振り返り、現在を見つめなおすとき、その先に新たな展望が開けてくるはずである。

 多くの人が自身の誕生日を大切にし、家族や友人を交えてお祝いしている。国にもきちんとした誕生日があり、みんなで心からお祝いできればそれに越したことはない。人々が国の原点を振り返りその伝統を重んじることは、みんなの幸せにむけて国の礎をより強固にすることにつながる。

 手元に、建国記念日に関する97ヵ国のデータ(Wikipedia百科事典)がある。一番多いのが独立記念日の68ヵ国、次いで革命記念日の13ヵ国、純粋に建国記念日としているのが10ヵ国、その他は6ヵ国となっている。ちなみに、アメリカはイギリスから独立した日、オーストラリアは最初の移民団が上陸した日、中国は毛沢東が建国を宣言した日、フランスは革命が始まった日となっている。

 これらの例に倣うと、日本も終戦記念日明治維新といった歴史の大転換点を建国記念日としてもそれほどおかしくはない。しかし、これでは国民的な合意は得られそうにない。日本という国の生い立ち、そしてそこに住む日本人の感覚からいけば、やはり歴史の始まりに近い時が望ましいのではなかろうか。

 歴史は、遡ればそれだけ不明瞭な部分が多くなり、神話や伝説でカバーされることになる。日本の原点をどう描けばいいのか。神話をロマンとして容認するもよし、あくまで歴史上の事実を追及するのもよい。その接点を探る論争が盛り上がり、みんなの納得が得られることが肝要である。
(2009年2月12日)

※写真は、近所に開いた河津桜