はったい粉

[エッセイ 635]

はったい粉

 

 うだるような暑い日だった。午前中、グラウンド・ゴルフで大汗をかき、昼食後はちょっぴり昼寝をすることにした。4~50分経ったころ自然と目が覚めた。隣のソファーでは、家内もちょうど目を覚ましたところだった。彼女は、午前中はプールに出かけ、800メートルばかり泳いできたところだった。時計を見ながら、三時のお茶にでもするかということになった。

 

 「そういえば」、といってそのとき話題になったのが、子供のころの昼寝の後のおやつのことだった。同郷出身なので共通の話題も多い。それでも、戦後間もないころのこと、おやつといってもせいぜい蒸かしたサツマイモくらいのものである。もちろん、季節によって獲れるものが違えばおやつも変ってくる。この日は梅雨明け直後のことなどで、「はったい粉」が話題になった。

 

 わが家は、二人とも海のそばで生まれ育った。夏休みになるのを待ちかねたように、昼食後は海で遊ぶのが日課だった。強い太陽光線に焼かれた背中がピリピリするのも忘れて、綿のようになって畳の上に寝そべった。そして、目が覚めるとおやつが待っていた。といっても、お菓子などは贅沢品とみなされ、せいぜいマクワウリかはったい粉といったところだった。

 

 当時、西日本の小規模な稲作農家は二毛作が当たり前だった。表にあたる初夏から秋にかけては米を、裏の晩秋から翌春にかけては大麦を作っていた。たいていの家は、それらを全部足しても、家族でやっと食いつなげるくらいの生産量でしかなかった。それでも、正月には餅を食べたい、一週間に1~2度は手製のお菓子を作りたいということから、餅米や小麦も少しばかり植えていた。

 

 はったい粉とは、その大麦の玄穀をセイロで煎り、粉に引いたものだ。大麦の大部分は、精製した上で麦めし用の平たい押し麦にするが、一部ははったい粉としてお菓子などの材料に廻していた。夏休みの、昼寝の後にいただく場合は、茶碗半分くらいの粉に砂糖を加え、水またはお湯で練ってそのままいただいた。香ばしさと独特のうま味が、今も鮮明に記憶に残っている。

 

 はったい粉は、現在ならたいてい焼き菓子に加工するのではなかろうか。ラクガンやホットケーキの材料に混ぜて使えば、独特の香ばしいかおりが楽しめるはずだ。練ってそのまま食べる場合でも、水の代わりに牛乳やヨーグルトあるいは甘酒などを使うと、さらに美味しくいただけるという。

 

 実は、わが家でも試してみようということになった。しかし、ネットではたくさん売られているのに、実店舗ではとうとう探し当てることができなかった。子供のころ、まったく馴染みのなかった納豆が立派な全国版に進化したのに対し、はったい粉はいまも西日本の地域限定食文化に留まっているのだろうか。

                      (2022年7月25日 藤原吉弘)