穀雨

[風を感じ、ときを想う日記](1182)4/20

穀雨

 

 今日は、春を通り越して初夏に近い陽気となった。陽の光の強もさることながら、気温もぐんぐんと上がって、30度に届くところも全国複数地点に上るだろうと見られている。わが家でも、お昼にラーメンをいただいたら、その熱さで汗を沢山かいてしまった。食事中の汗など今年初めてのことである。

 

 その、今日四月二十日は、二十四節気でいう穀雨にあたる。昔の人はこの時節の様子を、「けむるような春の雨が降り、穀物を潤す」と説明している。ここ数日間のお天気は、そんなイメージを飛び越えて一気に初夏に入った趣である。

 

 いま、ご近所では、新築木造家屋の棟上げが終わったばかりで、金槌の音が終日響き渡っている。うるさいといえばもちろんうるさいはずだが、不思議とそれほど気にならない。昔から、建設に関わる音は発展の象徴として前向きに捉えられているためかもしれない。

 

 しかし、この季節と金槌の音とは、私の体の中ではどうしても違和感が交錯してしまう。子供のころ、よく耳にした“家は冬に建てるもの”という言い伝えが居座っているためだ。ふる里の西日本はもとより関東でも、冬はお天気が安定しており空気が乾燥しているのがその根拠となっている。

 

 そんな古くさい言い伝えより、一人暮らしや空き家が目立つようになってきたこの町内に、若い住人が入ってくることへの期待感の方がはるかに大きい。