松茸

[エッセイ 670]

松茸

 

 親しい知り合いから、“珍しいものが手に入ったのでお裾分けする”という添え書きとともにマツタケが3本送られてきた。その現物を見たのは何年ぶりだろう。マツタケを食べたのは・・。考えてはみたがはっきりした記憶はない。

 

 思い出に残っているのは、子供のころ実家の山林にそれを採りにいったことくらいで、目の前でじかに出会うのは七十数年ぶりのことである。山奥にあるミカン畑の両側は丘陵になっており、尾根から内側は両サイドともわが家の所有地で赤松が生えていた。痩せ地であったため下草はあまり生えず、かまどの焚き付けに使う松葉をかき集めるには格好の場所だった。

 

 やがてプロパンガスが普及し、山林に手を入れることがなくなると、マツタケは他の菌に負けてまったく姿を見せなくなってしまった。彼らは、痩せ地の清潔なところを好むためのようだ。そうこうしているうちに、アカマツ林は松食い虫に食い荒らされ、孟宗竹の藪へと変身していった。この衰退現象は、西日本共通のなやみになっており、マツタケも衰退の一途をたどっていったようだ。

 

 ところで、そのマツタケだが、生えているのは東アジアと北ヨーロッパが中心だそうだ。ただ、あのマツタケの香りは、外国では不快な臭いと見なされることが多く、日本以外では食材として扱われることもほとんどないという。それでも、西日本を席巻した松枯れ現象は世界的にも共通する部分が多く、マツタケも2020年には絶滅危惧種に指定されたそうだ。

 

 これだけ私たちから遠くなってしまったマツタケだが、国内ではどれくらい採れていたのだろう。ある統計によると、出荷量の最盛期は戦前の1941年で、年間12,000トンに上っていたそうだ。それが、今では100トンを大きく割って、需要の大半は韓国や中国からの輸入に頼っているという。

 

 この度、わが家に送っていただいたマツタケは、次のようにして3日間にわたってじっくりと楽しませてもらった。初日は、一番大きかった一本を炭火焼きにして、縦に裂きながらスダチの酢をふりかけていただいた。なるべく、素材に近い状態を楽しみたかったからだ。そして残りの2本は細かく刻んでマツタケご飯にし、2日間にわたって香りを楽しみながらじっくりといただいた。

 

 ところで、マツタケの一般的な食べ方はどうなっているのだろう。ネットで見たかぎりでは、土瓶蒸し、炭火焼き、蒸し焼き、酒蒸し、吸い物、マツタケご飯、天ぷら、すき焼きそして寿司といったところで、とくに目新しいものは見当たらなかった。それにしても珍しい贈り物で、いまだにうれしさが止まらない。

 

 このありがたい貴重ないただきものは、1本で1年は寿命が延びそうだ。3本いただいたのでさらに3年は余計に生きられる計算になる。

                     (2023年10月28日 藤原吉弘)