平昌のフィギアスケート

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[風を感じ、ときを想う日記](836)2/17
平昌のフィギアスケート

 「朝、ふとんから手を伸ばしてテレビをつけたら、アメリカのコーエン選手が演技を始めるところだった。初日トップの彼女は、オリンピックの魔物に足をすくわれたのか、気の毒に2回も転んでしまった。

 つづく荒川選手は、ゆとりのある堂々とした態度で銀盤に立った。トゥーランドットに乗った至高の舞は、確かさと多彩さのなかにも優雅さを極めていた。ジャンプは力強く、安定感に満ちていた。これで、彼女の銀以上が確実になった。終盤、イナバウアーに移るころ、なぜか私の目からは涙があふれてきた。

 トリノ冬季五輪は、終盤の14日目、フィギュアスケート女子のフリー決勝を行い、荒川静香選手が金メダルを獲得した。高く掲げられた日の丸、厳かに響きわたる君が代、私たち日本人が待ちに待った光景である。」

 これは、12年前の2006年2月27日に、“静香劇場”と題して書いた私のエッセー115号の冒頭部分である。

 そして、今日午後1時過ぎ、同じような光景がテレビに映し出された。違っていたのは、主役が羽生結弦選手に代わったこと、銀メダルも日本の宇野昌磨選手だったことである。さらには、トリノの日本のメダルは結局彼女の1個だけだったのに対し、平昌ではこの時点で金銀銅併せて9個も獲得したことになる。

 日本人の、とくに心が強くなってきたことを実感する平昌大会である。