穏やかな元日

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[風を感じ、ときを想う日記](777)1/2
穏やかな元日

 テレビをつけると、ちょうど初日の出を中継するところだった。それも、富士山が「ダイヤモンド富士」として輝く瞬間を捉えようというものだ。撮影ポイントは、富士山の北西側、本栖湖そばの竜神池西岸だそうだ。ここからのシーンは、ただのダイヤモンド富士ではない。水面に映る逆さ富士をともなう「ダブル・ダイヤモンド富士」という欲張ったものだ。やがて、それが現実のものとして、元日の神々しい光景がテレビ画面いっぱいに映し出された。

 この日は、雲一つない日本晴れだった。しかも、風もほとんどない。気温は15度近くまで上がり、3月中旬並みの暖かい穏やかな元日となった。お目当ての白旗神社には9時50分ごろ着いた。いままでの経験から、朝お参りするのであればなるべく早い方がいいと思っていたが、着いたときにはすでに長蛇の列ができていた。しかし、この穏やかな日和では、待たされることに全く苦痛を感じなかった。

 参道には、大晦日の「大祓」のために用意されていたはずの茅の輪がまだ残されていた。参拝は、それを8の字にくぐった上でのこととなった。本来なら、大晦日のうちに茅の輪をくぐり、古いけがれをすべてぬぐい去ってから、新年になってあらためて神様に新しいお願いをするのが筋である。しかし、今年はそれをいっぺんに済ませることになった。列の末尾に着いて20分後、やっと拝殿にたどり着き、今年最初の大仕事を終えることができた。参拝を待つ列の長さは、私たちが着いたときの倍くらいに伸びていた。

 帰宅後、配達されていた年賀状を丹念に拝見させてもらった。「あちこち痛いところばかりだが、なんとか騙しだましがんばっている」とか、「大病から復帰し、リハビリに励んでいる」といった老いを実感させるコメントもたくさん混じっていた。それでも、こうして年賀状を書くだけの体力と気力があるのはいい方だ。過去に、「年賀状は今年で最後にしたい」とのコメントをいただいたまま、以降お互い音信不通になってしまった例もある。最悪は、年末にご子息などから喪中はがきをいただくことだ。それもたくさん経験するようになった。

 夕食後は、ウィーンフィルニューイヤーコンサートで優雅な元旦の夜を過ごした。クラシック音楽といえば交響曲が中心となるが、このコンサートに限ってはそうした重々しい曲は一切演奏されない。もっぱら、ワルツやポルカなど、親しみやすい短い曲ばかりである。そして時折、宮殿でのプロダンサーによる舞踊も画面に挟まれ華やかさをいっそう盛り上げる。ただ、この時間帯、以前からひいきにしている「カラオケバトル」という番組も放映されていた。そちらも気になり、時たまチャンネルを切り替えることになってしまった。クラシックの優雅さと演歌の俗っぽさが混在した元日の夕べとなった。

 昨年は、熊本地震に代表されるように、自然災害の特別多い年だった。それに引き替え、今年の元旦はまれに見る穏やかな天候に恵まれた。年の初めに当たり、この穏やかな日々がこれからも続いてくれることを祈るばかりである。


ダイヤモンド富士の写真はテレビ画面から撮ったもの。アナウンサーの「どうぞ、テレビ画面を写真に収めてください」というお勧めに甘えたもの。